12月初め、徳仁親王著『テムズと共に』を読了



この日も雲と光の様子以外はいつもと同じ単調な眺め。昔の砂浜の海岸を知る人も段々となくなって行くだろうなあ。
今年の五月ころに隣町のショッピングモールにある最寄りの紀伊国屋書店で偶然見つけて購入してあった本書を先月から読み始めて今月の初めに読了した。

この本を購入して読もうと思った主な動機は、恐らく他の多くの購入者と同じだと思うが、現天皇陛下個人についてもう少しよく知りたかったからに他ならない。読了して、その目的は達せられたと思う。もちろん回想録のようなものではないが、確実に当時の徳仁親王ご自身で、かなりの細部にわたって書かれた、かなりの分量におよぶ英国留学記であり、率直でかつ含蓄のある感想と発見に満ちた滞在記という印象を受けた。
それ以外に本書の内容自体から得られた知見や発見として次のような事があげられる。私は個人的には、他の国に比べて、それほどイギリスに関心があるわけではなかったが、現在の、といってももう二三十年は経っているわけだが、英国の様子について言えば、地域や環境が主としてオックスフォードに限られているために、当然英国全般というわけにはゆかないけれども、イギリス国内のオックスフォードという地域と大学に関わる地理的、歴史的、特に文化史的情報が何気なくというかそこはかとなく展開されているという印象。
留学中の研究テーマが『テムズ川の交通史』で、水運の歴史であるという事は、当初からニュースでも伝えられていたので私も知っていたが、このテーマにどういう意味があるのか、これまでよく考えることもなかったが、本書を読んで、このテーマはイギリス本国でも専門的に研究されたことが殆どなく、指導教官からも最初は別のテーマを勧められたという事は意外に思われた。当時の陛下独自の視点で選定されたということがわかり、こういう点、国民にとっても心強くおもわれる。
蛇足。芽キャベツが好物という点は私と同じでした。
柄谷行人著『意味という病』の読後感メモ
前回記事は、この6月だった。






前回記事からは5か月くらいになるが、今から1年半ほど前にはこのブログで柄谷行人著『反文学論』の一読に思うという記事を書いた。最近同じ著者の表題通り、『意味という病』を読了したので、この同じはてなブログで読後感を書いておこうと思う。
じつは、上記『反文学論』の読後、これを読む前に、カントの判断力批判を1年ほどかけて読み、それからジャン・ラクロワ著、木田元訳『カント哲学』を読んだばかりであった。この二冊の読了については、別ブログ『意味の周辺』にて、記事を書く予定。
さて、この本を購入して読もうと思ったのは、前回、この著者の本を初めて読んだ際に知った著者の初期作品の中で、このタイトルが印象に残り、気になっていたからである。なにしろ私の別ブログに『意味の周辺』というタイトルを付けているくらいなので、まあちょっとそのまま通り過ぎるというわけにも行かないという次第であった。
最初のマクベス論を読んでいるうちに『意味という病』というタイトルの意図がなんとなく分かった。『病』という表現は気に入らないが、他に言葉がないので仕方がないのであろう。全編を通じてこのタイトルで統一していることもわかる。特に、本書に収められていた個々の文芸評論の中で、マクベス論と森鴎外の歴史小説群に関する論は、かなり理解できるものだった。
その理由の一つは、どちらも多少の読後記憶があったからである。私がマクベスを読んだのは高校時代で、シェークスピアの作品としてハムレット他の2,3作と併せて読んだときである。全体としてあまり記憶に残らなかったが、マクベスだけは、詳細は覚えていないものの、非常に強い印象を受けた記憶が残っていた。森鴎外の作品群を読んだのはずっと後年になってからで、岩波書店からコンパクトな鴎外選集が出た頃、第一巻から順次読んで行き、渋江抽斎までは興味深く読んでゆくことができた。ただしそれ以降の史伝物はあまりにも親しみにくく読み続けることはできず、鴎外選集の残りを購入し続けることを止めてしまった。それでも、鴎外作品はだいたい、文学作品としては、私の性に会っていたように思う。前回記事でも書いたとおり、私は文学作品をあまり多くは読んでこなかったし、同時代文学は殆どタイトルや作家名を横目で見過ごす程度であったからである。そういうわけで、本書で扱われている同時代の作家や学者、評論家のほとんどは、せいぜいが名前を知っている程度であった。それでも私小説の作家についての評論は、ある程度、なんとなく理解できるところもあった。ちなみに、ほとんどわからず、面白くもなかったのは解説者による短い解説であった。もちろんそれは当方に解説者が持つような知識がなかったからであるが。
『夢の世界』については、著者の言わんとすることはなんとなくわかるような気もするが、同意できない気持ちの方が大きい。著者は夢と云うものを一律に無意味なものとして、夢の意味と云うものは後から反省して付加するものだとしているが、それには同意できない。また別のところで、フロイトの精神分析学を「馬鹿馬鹿しい体系」として切り捨てているように見える。しかし著者は、『私小説の両義性』の中で、日本語において形式的な主語となることの多い「気」と云うものがドイツ語の「es」に相当するという、木村敏という人の説に同意している。これは、フロイトの精神分析で無意識の根底に、やはりドイツ語の「es」を想定していることと共通しているのではないだろうか。
無意識と同様、夢そのものにもいろいろ種類もレベルも異なるものがあり、一概に言えないのはもちろんだが、少なくとも夢にイメージが伴うことが多いのは言うまでもない。あらゆるイメージは、それがイメージになった時点で、すでに意味をもつ筈であるとおもうのだが。さらに言えば知覚一般はすでに意味の空間である異方的な知覚空間の出来事なのだから。
ある猫の最晩年
私は数年前に東京から大阪府の生家の近くに引越したのだが、生家には10歳上の姉が猫を飼いながら暮らしていたので、もう相当な年でもあり、私は頻繁に生家に通って何かと協力しなければならなかった。
その猫は種類としてはキジトラ猫で、飼い主以外には懐かず、私が行くと一目散に逃げることが多かった。生家は木造の、もう相当古いあばら家で、逃げ場はいくらでもあり、二階の物干しや窓から隣に行くこともできた。その姉がちょうど1年ちょっと前から、私と同居することになり、嫌がる猫を何とか連れてきたのだが、最初は姉の部屋から出てくることはなかった。





もちろん飼い主には懐いていたが、わがままで大食で、悪い声で鳴いてばかりで手こずらせるので、飼い主も困っていた。もう十数歳の婆さん猫であったそうだが。これまでにも何度か弱りきって、もう死にそうだと思われたこともあったらしい。


私がストーブを付けるときは知らんふりをしているが・・・

ストレス解消のために買ってみた猫タワー。
何とか使ってくれるようになったが、頂上以外は乗りたがらないし、遊ばない。子猫ではないので仕方ないが。しかし、飼い主の話によれば子猫のときから遊ばず、他の猫と戯れることもせず、孤高を保っていたらしい。

元気がなくなってタワーに上らなくなっても、もっと高いところにあるこの布袋様の上にはなぜか無理してでも登りたがった。
このころ、一度、飼い主の膝の上に、自分から乗っていったことがあった。姉は、これまでこの猫が膝に載ってきたことはなく、これが初めてだと言って、すこし驚いたようだった。飼い主に抱かれるのも拒否するくらい気位の高い猫だったのである。

後からの話になるが、ちょうど死ぬ一月まえ、いつもはあまり近づかない私のいる近くまでトコトコと歩いて来たと思うと、なぜか行儀よく止まったのである。ちょうどスマホが近くにあったので、撮りにくいがスマホを猫の下方にくるようにして、急いで撮ったのが結構良く撮れて、飼い主のお気に入りの写真となった。鈴の付いた首輪は二つ目で、私が買ってやったものである。この首輪は、買主が横で猫を抑えるところを、私が前から付けてやったのだが、その時はなぜか全然嫌がることもなく、おとなしくじっとしていたのが意外であった。
一か月後の夜遅く、姉が自室の中から私に「猫がもうすぐ死ぬから、段ボールの箱を用意いしておいて」、と声をかけてきたので、適当な段ボール箱を用意して部屋の前に置いておいたのだが、姉は結局朝まで起きていたらしい。
深夜、私がトイレに立ったとき、薄暗い通り道に布の盛り上がった塊があったので、布をめくってみると、なんと当の猫が首をもたげて伏せっている。びっくりしたが、少し頭と喉を撫でてやったら、そのまま静かにしていた。あまり長くなで続けることはしなかった。それまでこの猫は私に撫でられることを嫌がっていたからである。

私はそのまま部屋に戻って寝てしまったが、猫はその後再び姉の部屋に戻り、夜が明けるまでにその部屋で死んだらしい。


死体に添えられた花は翌日駆けつけた姉の友人が持ってきてくれたもの。
下のやや豪華な花束はやはり別の友人が供えてくれたもの。
魂はどこへ?
一説には、猫のような動物の魂は、死後は個体性を持つことはなく、猫種族の魂のなかに取り込まれてゆくのだとも言われている。もちろん本当のことは私にはわからない。
ともかくも、私がこれまでに付き合ったことのある飼い猫のなかでは、人慣れしない猫であり、相当に個性の強い猫であったし、飼い主もそのように話していた。ネットで簡単に調べてみると、確かにキジトラ猫は野生に近いと言われている。ところで最近はなぜか日本だけではなく世界的にもキジトラ猫が増えてきているのではないかという気がしている。テレビやインターネット動画にあふれている猫動画を見てもそのような印象がある。先祖返りのような現象があるのだろうか?
私は自分で猫を飼ったことはないが、学生時代の途中まで、まだ生家で家族と一緒に暮らしていた昔の頃、同居人の誰かが猫を飼っていたことも多くあったが、大抵は黒猫かトラ猫か、白っぽい部分が多い猫であった。私自身はあまり餌を与えるようなこともなかったが、結構私にも懐いて、勉強中の膝の上に乗ってきたり、立っていると飛びついてきたこともよくあった。多少手荒に扱われたりしても平気であった。
猫の世界も時代と共に変化しつつあることをつくづく感じる今日この頃である。とにもかくにも、彼女(老婆猫だったので)は私にとっても色んな世界との接点ともなり、いろいろ考える材料を提供してくれた有難い存在ではあった。
午睡の夢とその後に近隣の公園で夜まで散策と読書などで過ごしたこと ― 夢について考える夢など

一昨日のこと、単に気分的に、ユーチューブ動画を選択して『
仲道郁代 プログラムを語る【夢は何処へ】 対談 仲道郁代×小田部胤久~響きの中にさめざめと泣き続けたい夢~
』というタイトルの動画を見たが、かなり印象に残る内容だった。そして今日もまだその印象が残っていたようだ。というのは、今日な次のような過ごし方をした日になったからである。
今日、昼食後間もない時間、近くにいた姉が友達に電話しているのが聞こえたが、その友達という人が、「今から昼寝をする」、と姉に言ったとの事である。私には関係もないことだったが、昼寝と言えば、最近は昼寝をすることは無かったな、などと思いながら、自室に戻ってパソコンの画面に向かい、何かしら懸案の作業を続けようとおもって、パソコン画面のウィンドウをいくつも切り替えたり、ぐずぐずとしていたが、なかなか気が載らず、「そうだ久しぶりに少しばかり昼寝でもするか」と思いたち、低い椅子のそばで仰向けになって昼寝を始めた。そのまま寝るには少し寒いような気がしたが、服の上に何も掛けることもなく、予想していた時間をかなり超え、2時間ほど寝入ってしまった。もちろん熟睡するには至らず、その間、久しぶりに記憶に残る夢を見ることとなった。
その夢というのは、もちろん視覚的な印象はあるが、近年に私が経験した多くの夢と同様、気分的、感情的な側面が強く、思索的でもあった。というより、夢そのものについて考えていたような気さえするのである。夢を見ながらかなりそれが夢であることに気づいていたように記憶している。こういう夢はこれまでにも経験している。夢というよりも幻想に近いのかもしれない。具体的な夢の内容について言えば、単に、昼間にスーパーマーケットかコンビニのような店内に入るだけという出来事なのだが、それが真昼の時間帯であることを確かに意識していた。それはやはり、午睡に入ったときの時間意識をそのまま夢の中に引き継いでいたとしか思えない。その時私は次のように意識していた。「私は真昼に、あるスーパーに入店するという、これまでに経験したことのない体験をしている。」「これは夢なのだ。夢だからこういう体験ができるのだ。」もちろん現実には真昼にスーパーやコンビニに入店したことはいくらでもある。だから上述のような意識の内容は現実の私の経験に反することなのである。もう一つのおかしな点は、それが昼間のことでありながら、店内はもちろん照明で明るいが、外は真っ暗で完全な夜の環境であったことである。店と屋外とはガラスの壁とドアで仕切られていたらしく、外から店内は見えたが、外は完全な闇で、何も見えた記憶がない。もちろん店内が見えたといっても具体的に並んだ商品や店内の人々が見えたわけでは無く、単なる環境として意識できただけである。また私がどこからその店の前に来たのかという意識もなく、いきなり外から店内に入ることから始まった。店で何か買い物をしたのか、また店を出てからどこかへ行ったのか、といったような意識も全くなく、ただ感情と上述のような思考だけがあった。気分としては、これまでに経験した多くの夢と同様、一言で云って孤独感である。悲哀でも寂寥感でもなく、孤独感という表現が最適だろう。違和感ともいえるかもしれない。何に対する違和感であるかといえば、周囲環境と私自身との違和感ということになるだろう。
上述のような夢で味わっていた孤独感と違和感、あるいは日現実感を引きずりながら夕方、いつもより早め、まだ晴れた昼間の明るさが十分に残っている頃に公園の方を向かって散歩に出た。このときはまだバラ庭園の閉門までに間に合うだろうと期待していったが、この日も閉門30分前を少し過ぎてしまい、入場はできなかった。


この日は平日だったのでバラ庭園周辺の混雑もなく、久しぶりにベンチで読みかけの本を1時間弱ほどをかけて4ページほど読み進むことができた。その本というのはカントの『判断力批判』である。実は去年のいつごろからか、この本を毎日散歩の途中に読む習慣になっていたのである。こんな本は一回に何時間も続けて読めるものではないし、4ページも読み進めることができれば良い方である。半ページに30分をかけて終わりという日もある。そういうわけで去年の秋から先月あたりまでは公園のベンチでは少々寒いから、2キロくらい離れた巨大スーパーマーケットまで歩いたり、もっと遠方の巨大ショッピングモールまで年寄り向け割引のある電車で足を延ばしたりで休憩所などを利用してしばらく読書をし、ついでに買い物もして帰るという日常が続いていた。そういえばカント哲学は先日のユーチューブ動画でも話題になっていたので、ここにも何かのつながりがなくもない。という訳で、スーパーマーケットやショッピングモールの環境が日常の一部を占めるようになっていたのも、今回の夢の素材になっていることも確かだろう。
読書の後、久しぶりに公園の南端まで1キロ半ほどの距離を、のたのたと歩いて行った。






上写真のベンチでも本の続きを少し読み続けた。とは言っても数行かな。もう日暮れも近く、誰もこのベンチ群まで来そうにはない。向こうの通りではまばらな人通りはあり、若い女性が何か一人でわめきながら通ったらしいのを覚えている。そばの水道栓では一人のジョガーが顔か何かを洗いに立ち寄っていった程度。後は頃合いを見て歩いて帰るのみ。

さて、当日歩きながら考えていたことの続きをまだときおり考え続けている。もちろん主に当の午睡の夢と、夢一般についてである。
フロイト流の精神分析では通常、夢はイメージによる象徴的な思考であるという考え方が一般的であるように思われるが、私の場合、特に人生の後期に入ってからは今回に限らず、つじつまの合わない思考ではあっても、やはり言葉、もちろん日本語で考えていたり、イメージというよりむしろ感情や気分の要素が強い場合が多いような気がする。もちろん、かなり鮮烈な視覚イメージの夢を見たこともある。記憶している例では、鮮烈な青空の中に真っ白な富士山の頂きが浮かんでいるという結構な夢の記憶がある。その時はただそれだけ、視覚的イメージの他には、美しいなという気持ちを伴う程度であった。多くの場合、夢の印象に残るものはイメージよりも感情や気分である。初めの方でも述べたように、一言で云えばやはり限りない孤独感が基調にある。考えてみれば夢を見るという体験はすべて孤独の体験である。これはある意味で死を連想させる。死という体験は孤独な体験とされているからである。しかし死という体験と死後の体験とはまた別であろう。死後について知ることができるかできないかは別として。
件のユーチューブ動画の中で話題になっていた夢に関するテーマは主として、夢は何処から来るのか、つまり夢の源泉についての問題であり、古代ではそれは神のお告げのように、自己の外に由来するように考えられていたが、近代の哲学者たちから、夢の源泉は個人の無意識という、自己の内部であるという見方が主流になってきたという論点が主軸となっていた。参考として挙げられた哲学者の名前としてはライプニッツやカント、さらにドイツの文学者たちで、フロイトの精神分析には至らなかった。これはある意味自然なことであってこの対談の趣旨はベートーヴェンとシューベルトのソナタにちなんだものであったから、時代的に当然ではあった。それに、フロイトの精神分析は科学とされ、フロイト自身も自らを科学者と考えていた。精神分析が成立して以降、夢は科学で扱うものとなり、現在に至っては脳科学であつかうものという印象が強いものとなっている。しかしやはり現在に至って夢を何らかの学問分野で扱うとすれば、科学以上に哲学が、さらには文学が重要になってくるのではないか、というのが今回記事の1つの結論である。
当日の散歩中には他にも文学のことや自転車乗りについてなども考えたが、今回はこれだけにしておこう。なお前回記事を読み返してみると、約1年ほど経過している。この記事の中でのべたところの志賀直哉を読む計画は最初の40ページ余りで頓挫している。また再開することもあるかないか、どうなるだろうか。
柄谷行人著『反文学論』の一読に思う







つい最近、柄谷行人著『反文学論』を一読した。これには二つの動機があった。一つは、私はこれまで同時代の日本文学を殆ど読んでこなかったという理由である。最近になって大江健三郎死去のニュースなどをきっかけに、この、私の同時代といえる時期の純文学と言われるものはどういうものだったのか、多少興味を持ち出した、ということがある。
もう一つの動機は柄谷行人という人について、今まで、有名な人文系知識人の一人という程度にしか知らなかったのだが、最近、いくつかのソースから飛び込んできた情報で、哲学者としてひときわ優れた業績を持つという評判の人であることを知り、それなら、何か手短な本一冊からでも読んでみたいものだと思ってネット販売サイトで調べたところ、ちょうど『反文学論』が、上述のとおり私がこれまで知ることのなかった私にとっての同時代純文学を扱っていることがわかったので、手ごろな選択となったというこてになる。
日本文学に関して、本書によっていろいろと触発されたことや、これがきっかけとなって思い起こしたり反省したり、改めて考え始めたことなど、すべてを書きだそうとしても始まらないので、とりあえず、何か一つのことでも断片的にでも書き留めておこうと思う。
今回読んだのは講談社文芸文庫版で、本文は約200ページ。その内容は、解説(池田雄一)によると「本書は、柄谷行人によって、『東京新聞』等に連載された「文芸時評」を、一冊にまとめたものである。その期間は、1977年3月から1978年11月までの1年9か月である」。この期間はちょうど私の30歳頃にあたる。
ということで、極めて短い期間であるけれども、22章を構成する各章は作家名や作品名ではなく、例えば『言葉について』とか、『自己について』などのテーマ別になっていて、その点で、私のような、いわば文学通ではない、というか、そういう小説を全く読んでいない者にとってもとっつきやすいものになっている。とは言え、それだけに論じられている内容は、本質論と言えば良いのか、難しい。どの章についても表題のように一読だけで本書に内容についてあれこれ語るのは無理である。部分的には、2,3の章を読み返しはしたが、結局のところ、最も多く時間をかけて考えたことは、冒頭でも述べた通り、私がなぜ、自分の同時代純文学を読んでこなかったのか、という問題を改めて考えさせられたということになるだろう(なぜ小説家になることを目指さなかったのだろうとまでは考えないが)。特にその点で後悔しているわけでも、今からでも改めて多くの作品を読んでみたい思うわけでもないが、それを考えること自体、私にとって意味深いのである。
というのも、ここで思いおこしたのは、私の別のブログ『意味の周辺』
で今、書き続けているシリーズ記事があり、最新の記事は、私と科学、自然科学との関わりを反省するように再考察するものになっていたので、ある意味、その記事の内容と表裏をなす問題であることに気付いたからである。
もっと広範に考えをめぐらすと、人が生涯を通じて関心と興味を寄せる文化的な対象はいろいろあり、中にはそれが職業に結び付くという幸運な場合がある。そういう興味の対象の選択ということは、考え方によっては人生の主軸と見なしうるともいえる。そういう多様な、文化的な興味の対象もいろいろとカテゴリーで分けることもできるわけだが、一つの重要な分け方として、小学校から始まり、大学にまで至る学校教育の科目として分類できるものがあり、それらの多くは一般に学問や芸術の分野と見なされている諸々とも重なる部分が大きい。もちろん、そういう重なり合いはかなり複雑で、たとえば日本の小中学校では『理科』という科目がある。しかし世界的に、中国も含めて、それに相当する用語は『科学』ないしはScienceである。
という次第で、私の場合に限らず、この「同時代純文学」への無関心ないし拒否という傾向は、他の対象への関心や距離関係と複雑な相関関係あるいは関数関係という見方で考察できるだろうと思う。たとえば科学への関心が高まるにつれて、その分、文学への関心が薄れるといった現象である。もちろん、それは個人によって多様である。一人ひとり異なるともいえるが、一方で人類あるいは民族、国民、部族で普遍的な傾向もあるに違いない。
以上は、本題の本の内容自体とは直接には関係のないことになってしまった。そこで本書の内容に直接関係を持つこととして、本書の一つの章から触発された一件についてメモしておこうと思う。それは『自己について』という一章の内容に関するものである。ここで著者は、志賀直哉について、次のように重要な言及を行っている。この章は次のように始まっている。『雑誌「文体」に、「奈良時代」と題する、尾崎一雄をと安岡正太郎の対談がある。むろん奈良朝のことではなく、志賀直哉が奈良にいた時代のことで、そこに、「昭和文学」の一つの発祥をみるという視点がとられている。この視点は正しいと思う』。
このように、著者は日本文学において志賀直哉を特に重視していることがわかるが、この点で私は意外であったと同時に、新鮮な印象を持った。というのは、私は志賀直哉の作品を事実上、一作も読んだことがなく、ただ名前と、『暗夜行路』という小説の題名と、印象的な老年の肖像写真だけの印象しかもっていなかったからである。実は、私の高校時代で用いた現代国語の教科書には『暗夜行路』からかなり長い抜粋があったのである。しかし担当の国語の先生はそこを完全に飛ばしてしまったのだった。「こういう主観的な文章は読んでも仕方がないので云々」と言ったように、いまだに記憶している。私自身は、これは有名な作品名でもあり、多少は先生の講義を楽しみにしていたにも関わらず、それ以後は自分で読むこともなく、現在に至った次第なのだ。この間、冒頭で述べたように同時代の純文学は全く読まなかったが、それ以前、簡単に言って戦前の日本文学を全く読まなかったわけでもない。もっとも量的には少なく、多少とも網羅的に読んだと言えるのは鴎外と漱石だけであった。それ以外ではむしろ詩人の方に興味を持ったが、実際に読んだものは限られる。また詩人に関しても同時代の詩人には小説家と同様かそれ以上に、ほとんど興味を持てず、というよりも興味を持とうともしなかった。
ここでちょっと脱線になるが、この時代、つまり私の成人以後の同時代に、日本で最も影響力を拡大してきた西洋の芸術と言えば、いわゆるクラシック音楽ではないだろうか?外国の状況はよく知らないが、これは中国や朝鮮、韓国、その他のアジア諸国でも同じではないだろうかと思われる。私自身は環境のせいもあって職業的にはもちろん、趣味としても演奏や作曲の訓練を受けたこともなく、習慣的に演奏会に行くこともなかったが、放送や録音を通じて受けたクラシック音楽のインパクトは相当なものだと思う。少なくとも私の場合、この間、同時代の詩人に関心を持てなかったのは、クラシック音楽の魅力と力にかき消されてしまったのではないかとも思われる。
そんな状況ではあったが、比較的最近、5,6年前になるが、青空文庫を利用して藤村の『夜明け前』に挑戦して、読了した。藤村の詩はもちろん好きだったが、小説はこの時が初めてである。有名な破戒も読むのは気が重く、読んでいなかった。『夜明け前』を読むきっかけになったのは歴史的な関心からで、普通に小説を読みたいというような気持ではあまりなかった。
という次第で、この期に及んで志賀直哉の暗夜行路を読もうか、と思いだしたのは、全く本書に触発された結果である。残念ながら、著作権が切れていないので青空文庫にはないが、今アマゾンで調べてみると、文庫本で、1,000円あまり、キンドル版ではゼロ円、中古品では94円から最高で2,600円台。中古から選んでみよう。夜明け前は青空文庫だったので電子書籍だったが、やはりこういうものは紙の本で読みたいと改めて思ったことだった。
斜面と丘と広葉樹
一昨年までは行ったことがなかった公園で、名前は霞ヶ丘公園という。私の行きつけの公園である浜寺公園は府立の大公園だが、こちらは市立の公園で規模は浜寺公園の十分の一くらいか。子供の簡単な遊具くらいしか施設がないが、斜面と丘と広葉樹の変化に富む眺めが好ましい。端的に言って私は斜面と丘と広葉樹が好きなのだ。

この斜面を登ると、芝生の中に数か所、ポツンぽつんと離れて広葉樹が散在している。なぜか二本ずつ植わっているが、一本のように見える。これはたぶん楠だろう。

こちらは何の木か知らない。やはり新緑だと思うが、かなり緑が濃くなっている。





























ではまた。
浜寺公園は広大で、全体として平坦な松林の中にぶぶん
中之島公園ー久しぶりだが初めて同然
先日、短時間の所用の帰り、すぐに帰るm野茂もったいないので、歩いて御堂筋を北上して中の島公園に立ち寄った。

まだ大阪府外で一人暮らしを始めるまでの若かった一時期、中之島を横断する大通りを通ることは良くあったが、中之島公園に立ち寄ることは殆どなく、バラ園も今回初めて入ってみた次第だが、バラ園のバラは殆どまだ、蕾状態であった。


殆ど毎日のように行く浜寺公園は中之島公園よりも広大で、これも良い公園だが、見栄えのする建築や文化施設がないので物足りない。その点、こちらはさすがに都市公園の充実感がある。



側面から見るのもなかなか良い。
















全体に東京の日比谷公園に似た環境と構成だが、周囲の高層ビルは日比谷辺りよりも規模が小さい。けれどもこちらの方が、デザイン的に風情がある。公園の設計や庭園のデザインもこちらの方が優れているように思う。東京に居たときは日比谷公園にも時々行ったことがあるが、あまり好きな場所でもなかった。上野公園はまた規模が一段大きく比較の対象にはならないが、不忍池公園はやや似たところがある。中之島公園は規模としては日比谷公園と不忍池公園の中間くらいかな。もっとも中之島全体は上野全体に比べて都会的ではあるが。
最近の私が毎日のようにぶらついている浜寺公園はほぼ全体が芝生と松林で、公園としてはユニークである。都市公園とは言えず郊外の公園ということになろうか。周囲の片側が住宅地、他方に広い水路があるもののその向こうは工業コンビナートで、やはり大型の建築や文化的な施設に欠け、物足りないところがある。そういう点で、たまにはこのような公園に来るのも楽しいものである。
以上、4月の10日頃のことでした。