何十年ぶりかの住吉神社
昨年の6月に大阪府内の現在の住所に引っ越してもう半年以上。東京に住んでいたときも結構、神社にはよく行き、スマホを使うようになってからはそれらの写真を掲載しながら記事を書くことも多かった。
こちらに来てから、また来る途中でも、結構な数の神社を訪れ、当然参拝もしたが、本ブログに掲載する機会を逸してしまったな。今回、それでももう半月前になってしまったが、ふと思い起こし、阪堺電車に乗って住吉大社を訪れたときの写真をブログに残しておこうと思う。
これは阪堺電車の線路を挟んで撮った写真。
実は、住吉神社は、私が最初に行った記憶のある神社なのである。最初というからにはもちろん子供の時である。それ以後も二十歳過ぎまで大阪府内に住んでいたから、一度ならず行ったとは思うが、それでも最初に行ったとき以外の記憶はないのが不思議。冒頭の太鼓橋は有名でもあり、もちろん正確ではないが基本的な記憶があるけれども、この門の姿は記憶がないのである。それにしても、こういう門の形式は何となく異界的な趣がある。ちょうど今しがた気付いたのだが、祭神は海に縁のある神様でもあり、竜宮城風の趣も感じられる。
何故かどの社殿も正面が幕で覆われ、中が拝めなかったのが少々興ざめだった。いつもこうなのだろうか?
こういう風にいくつもの社殿があって、赤い柵で囲まれている景観は確かに記憶通りだが、いま眺めてみると、やはり、昔、子供の頃に見え、感じられたよりもずっと美しく見える。建築自体が多少とも変わったかどうかはわからないが。
昨年まで、東京に住んでいたときに行くことが出来た神社の殆どは、建築的にはみな同じような造りで、権現造りというそうだが、はっきり言ってつまらないとは言わないまでも単調で、変化がほしいと思ったことも多かった。秩父神社や三峰神社まで足をのばした時もそうだった。明治神宮と靖国神社は明治以降だしね。東京から西に移動するとむしろ権現造りは少ないように見える。引っ越す途中で立ち寄った諏訪大社もそうだった。この間に訪れた、結構多様な神社についてはまた改めてこのブログでまとめてみたいと思っている。
帰りに乗った阪堺電車は、最も古いいわば骨董的車両だった。
はじめの方で書いたように、私が初めて住吉神社に参拝したのは子供の頃、まだ小学校に行くか行かないかという年だったはずである。その時は大きく年の離れた姉が連れて行ってくれたのだった。姉は記憶していないようだが、私の記憶では、私のためにおみくじを引いてくれて、中身の意味を読み聞かせてくれたように記憶している。あれから60年位も経た今は当然、一人でおみくじを引いてみた。中身は、気のせいか当時の御籤に続くもののように取れないこともなかった。もっとも当時は子供向けの御籤を買ってくれたのだろうと思うが。とはいえ、今回の御籤が年寄り向けとして区別されていたわけでもない。御籤の種類も神社によってさまざま。どこの神社だったか、恋御籤という種類もあり、他よりも100円ほど高かったようだった。
住吉神は和歌の神様。東京の湯島天神で引いた御籤と風情が似ている。湯島天神の方は当然、道真の和歌だったが。
最近は和歌にはとんと縁がないなあ・・・