矢車SITE ― 改訂2022年11月

写真を主とした本人の日記代わりのようなブログで、つぶやきのようなものですが、 当人の別ブログ記事の更新紹介も行っています。

いったん別のサイトに移転した本ブログのメイン記事を本サイトに戻しました。部分的にTwitter投稿を一定期間を区切って掲載したものが含まれます。

柄谷行人著『反文学論』の一読に思う

この日は目的地への途中で下車し、桂離宮の周囲を歩いてみた。真昼だが閑散としていた。

 

もう閉門前の六波羅蜜寺。私がもっとも京都らしさを感じる美しいお寺

京の五条の橋の上。五条の駅から帰るとするか

京都へ行った日の前日、日曜午後の近隣の公園にて

たぶん京都へ行った後の日曜日。そろそろ夕方でもう暑くはない。風邪を引かぬように!

最近の夕方、最後のサービス噴射か。時間も遅く小雨で人もまばらだったが。


つい最近、柄谷行人著『反文学論』を一読した。これには二つの動機があった。一つは、私はこれまで同時代の日本文学を殆ど読んでこなかったという理由である。最近になって大江健三郎死去のニュースなどをきっかけに、この、私の同時代といえる時期の純文学と言われるものはどういうものだったのか、多少興味を持ち出した、ということがある。

もう一つの動機は柄谷行人という人について、今まで、有名な人文系知識人の一人という程度にしか知らなかったのだが、最近、いくつかのソースから飛び込んできた情報で、哲学者としてひときわ優れた業績を持つという評判の人であることを知り、それなら、何か手短な本一冊からでも読んでみたいものだと思ってネット販売サイトで調べたところ、ちょうど『反文学論』が、上述のとおり私がこれまで知ることのなかった私にとっての同時代純文学を扱っていることがわかったので、手ごろな選択となったというこてになる。

日本文学に関して、本書によっていろいろと触発されたことや、これがきっかけとなって思い起こしたり反省したり、改めて考え始めたことなど、すべてを書きだそうとしても始まらないので、とりあえず、何か一つのことでも断片的にでも書き留めておこうと思う。

今回読んだのは講談社文芸文庫版で、本文は約200ページ。その内容は、解説(池田雄一)によると「本書は、柄谷行人によって、『東京新聞』等に連載された「文芸時評」を、一冊にまとめたものである。その期間は、1977年3月から1978年11月までの1年9か月である」。この期間はちょうど私の30歳頃にあたる。

ということで、極めて短い期間であるけれども、22章を構成する各章は作家名や作品名ではなく、例えば『言葉について』とか、『自己について』などのテーマ別になっていて、その点で、私のような、いわば文学通ではない、というか、そういう小説を全く読んでいない者にとってもとっつきやすいものになっている。とは言え、それだけに論じられている内容は、本質論と言えば良いのか、難しい。どの章についても表題のように一読だけで本書に内容についてあれこれ語るのは無理である。部分的には、2,3の章を読み返しはしたが、結局のところ、最も多く時間をかけて考えたことは、冒頭でも述べた通り、私がなぜ、自分の同時代純文学を読んでこなかったのか、という問題を改めて考えさせられたということになるだろう(なぜ小説家になることを目指さなかったのだろうとまでは考えないが)。特にその点で後悔しているわけでも、今からでも改めて多くの作品を読んでみたい思うわけでもないが、それを考えること自体、私にとって意味深いのである。

というのも、ここで思いおこしたのは、私の別のブログ『意味の周辺』

https://imimemo.blogspot.com/

で今、書き続けているシリーズ記事があり、最新の記事は、私と科学、自然科学との関わりを反省するように再考察するものになっていたので、ある意味、その記事の内容と表裏をなす問題であることに気付いたからである。

もっと広範に考えをめぐらすと、人が生涯を通じて関心と興味を寄せる文化的な対象はいろいろあり、中にはそれが職業に結び付くという幸運な場合がある。そういう興味の対象の選択ということは、考え方によっては人生の主軸と見なしうるともいえる。そういう多様な、文化的な興味の対象もいろいろとカテゴリーで分けることもできるわけだが、一つの重要な分け方として、小学校から始まり、大学にまで至る学校教育の科目として分類できるものがあり、それらの多くは一般に学問や芸術の分野と見なされている諸々とも重なる部分が大きい。もちろん、そういう重なり合いはかなり複雑で、たとえば日本の小中学校では『理科』という科目がある。しかし世界的に、中国も含めて、それに相当する用語は『科学』ないしはScienceである。

という次第で、私の場合に限らず、この「同時代純文学」への無関心ないし拒否という傾向は、他の対象への関心や距離関係と複雑な相関関係あるいは関数関係という見方で考察できるだろうと思う。たとえば科学への関心が高まるにつれて、その分、文学への関心が薄れるといった現象である。もちろん、それは個人によって多様である。一人ひとり異なるともいえるが、一方で人類あるいは民族、国民、部族で普遍的な傾向もあるに違いない。

以上は、本題の本の内容自体とは直接には関係のないことになってしまった。そこで本書の内容に直接関係を持つこととして、本書の一つの章から触発された一件についてメモしておこうと思う。それは『自己について』という一章の内容に関するものである。ここで著者は、志賀直哉について、次のように重要な言及を行っている。この章は次のように始まっている。『雑誌「文体」に、「奈良時代」と題する、尾崎一雄をと安岡正太郎の対談がある。むろん奈良朝のことではなく、志賀直哉が奈良にいた時代のことで、そこに、「昭和文学」の一つの発祥をみるという視点がとられている。この視点は正しいと思う』。

このように、著者は日本文学において志賀直哉を特に重視していることがわかるが、この点で私は意外であったと同時に、新鮮な印象を持った。というのは、私は志賀直哉の作品を事実上、一作も読んだことがなく、ただ名前と、『暗夜行路』という小説の題名と、印象的な老年の肖像写真だけの印象しかもっていなかったからである。実は、私の高校時代で用いた現代国語の教科書には『暗夜行路』からかなり長い抜粋があったのである。しかし担当の国語の先生はそこを完全に飛ばしてしまったのだった。「こういう主観的な文章は読んでも仕方がないので云々」と言ったように、いまだに記憶している。私自身は、これは有名な作品名でもあり、多少は先生の講義を楽しみにしていたにも関わらず、それ以後は自分で読むこともなく、現在に至った次第なのだ。この間、冒頭で述べたように同時代の純文学は全く読まなかったが、それ以前、簡単に言って戦前の日本文学を全く読まなかったわけでもない。もっとも量的には少なく、多少とも網羅的に読んだと言えるのは鴎外と漱石だけであった。それ以外ではむしろ詩人の方に興味を持ったが、実際に読んだものは限られる。また詩人に関しても同時代の詩人には小説家と同様かそれ以上に、ほとんど興味を持てず、というよりも興味を持とうともしなかった。

ここでちょっと脱線になるが、この時代、つまり私の成人以後の同時代に、日本で最も影響力を拡大してきた西洋の芸術と言えば、いわゆるクラシック音楽ではないだろうか?外国の状況はよく知らないが、これは中国や朝鮮、韓国、その他のアジア諸国でも同じではないだろうかと思われる。私自身は環境のせいもあって職業的にはもちろん、趣味としても演奏や作曲の訓練を受けたこともなく、習慣的に演奏会に行くこともなかったが、放送や録音を通じて受けたクラシック音楽インパクトは相当なものだと思う。少なくとも私の場合、この間、同時代の詩人に関心を持てなかったのは、クラシック音楽の魅力と力にかき消されてしまったのではないかとも思われる。

そんな状況ではあったが、比較的最近、5,6年前になるが、青空文庫を利用して藤村の『夜明け前』に挑戦して、読了した。藤村の詩はもちろん好きだったが、小説はこの時が初めてである。有名な破戒も読むのは気が重く、読んでいなかった。『夜明け前』を読むきっかけになったのは歴史的な関心からで、普通に小説を読みたいというような気持ではあまりなかった。

という次第で、この期に及んで志賀直哉の暗夜行路を読もうか、と思いだしたのは、全く本書に触発された結果である。残念ながら、著作権が切れていないので青空文庫にはないが、今アマゾンで調べてみると、文庫本で、1,000円あまり、キンドル版ではゼロ円、中古品では94円から最高で2,600円台。中古から選んでみよう。夜明け前は青空文庫だったので電子書籍だったが、やはりこういうものは紙の本で読みたいと改めて思ったことだった。