矢車SITE ― 改訂2022年11月

写真を主とした本人の日記代わりのようなブログで、つぶやきのようなものですが、 当人の別ブログ記事の更新紹介も行っています。

いったん別のサイトに移転した本ブログのメイン記事を本サイトに戻しました。部分的にTwitter投稿を一定期間を区切って掲載したものが含まれます。

東京圏の空と大阪圏の空、とくに夕焼けの空

5月末を最後に6月初めに東京文京区から大阪府内、大阪湾沿岸の生家の近くに引っ越しを完了した。もうすぐ二か月にもなる。この間、何回か東京大阪間を行き来したが、東京から大阪に向かった最後の二回は中央本線で特急あずさを利用して長野県の諏訪地方を経由した帰省旅行となった。これはその頃よく見ていた鉄道オタクのユーチューブ動画に触発されたことによる。長野県では二回合わせて諏訪湖諏訪大社、上社と下社に立ち寄ったりもしたので、スマホ写真もたくさん残っているが、今ここで順を追って整理するのも気分的なゆとりが不足しているので、それらについては今後そのうちにまとめることとし、今はこちらに移り住んで強く印象付けられた一つの事柄についてだけ、書き留めておこうと思う。そのテーマは表題のとおりである。まずは、次2つの写真を比較してみたい。

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上の方は、つい最近のような気がするが、じつは5年ほど前に東京文京区の後楽園付近の交差点で撮った写真である。下の方はつい最近、先月に大阪市内、道頓堀川の橋上になる御堂筋の歩道で撮った写真である。雲の量がかなり違い、太陽の高さも異なると思われるが(どちらも夕日は映っていないが)、空気の清浄度の違いがかなり現れているのではないだろうか。後者で見られるような明るく澄んだ夕焼けは東京ではあまり見られなかったような気がする。

上の東京後楽園あたりで見た夕焼けはしょっちゅう見られるような夕焼けではなかったが、このような燃えるような濃い色の夕焼けは当地でも見られる。次の写真がそれで、これは堺市の臨海工業地帯を望む場所で撮ったものである。

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印象としてはかなり近いが、確かな違いはある。こちらは黄色味の強い、オレンジ色系の部分がかなり広く拡散しているのに対して、上の後楽園で見られた夕焼けは黄色味の強さが特に明るい部分に限られ、暗い紫がかった部分がかなり広がっていることである。これは東京地方では黄色から緑にかけての光の吸収が比較的に大きく、空気汚染度の大きさを示しているように思われる。

 

東京で暮らしていた最後の数年間は夕方、不忍池まで歩いてゆくことが多く、毎週、何度も、往復で4キロ以上を歩くことも多かった。そのため夕暮れ時は不忍池のベンチで黄昏の空を眺めることは多かったが、夕焼けの記憶は少ない。しかしこの機会に古いフォルダー内の写真を見てみると、夕焼けらしい写真は、下のいくつかのように、あるにはあった。

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後の3枚は2015年の8月、同じ日に撮ったもので、不忍池でこれほどの夕焼けが見られた記憶は少ない。最初の写真程度の夕焼けも見られない夕方が殆どであったような気がする。気付くのはやはり、黄色から緑にかけての色調が、当地に比較して弱いことである。また全体に色の純度が低く、灰色がかっているともいえる。次の写真は、たまたま同じフォルダーで見つかった虹の写真で、これは同年9月の初めにお茶の水駅付近で撮った写真である。Kc463902

珍しく虹に遭遇出来たのがうれしくて、スマホを取り出して写真を撮ったが、やはり空気が澄んでいないために全体がうすぼけて、特に緑が殆ど隠されているようだ。青や紫は空の地の色に他ならない。

一方、下は当地の海岸、というか埋立地の水路で撮った南西の夕空である。

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とくに、夕焼け雲の中に垣間見える空の色が薄い緑色になっているのが目立つ。東京圏ではこういう緑色がかった空色は見た記憶が無い。

次の二枚はやはり今年の7月、堺市の市中で撮ったものである。

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このように空のかなり高いところまでが黄色く染まるような夕焼けも東京では見たことが無い。

次は上記水路に隣接する公園で見えた夕焼けであるが、最初の1枚は西の空、次の2枚はだいたい同時刻の東の空である。

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このときは雲の関係で、西の夕焼けは少ないが、東の夕焼けはかなりのものである。要するに当地では夕焼けが全天に広がることもある。全天に広がる夕焼けも、東京では経験した記憶が無い。

 

当地の、空に関する、私の子供時代の記憶としては、特に夕焼け空が強く焼き付いている。西の方に海岸があったため、また海岸地方にまだ漁村や農村も残っていたのどかな時代でもあったこともあって、夏から秋にかけて沢山のトンボが飛び交う夕焼け空の記憶はかなり鮮烈に残っている。その後、成人してから4年間ほど、山口市に移り住んだが、当時は夕焼け以上に、夕焼けがおさまった後もかなり長く続く黄昏の空の透明感が特に印象に残っている。次にかなりの長期間、岡山県内で過ごしたが、この時期はあまり空の色を楽しむようなゆとりはなかったせいか、あまり記憶に残っていない。その後に東京圏に移り住んで、結局はこの期間がこれまでの人生でもっとも長い期間となった。

東京圏で、特に都心の文京区に住むようになって戸惑ったことの1つは方向感覚である。もともと方向音痴の傾向はあったが、東京の都心区域は特に関西圏の都市に比べて道路の方向が斜めに入り組んでいることが原因として大きいが、それに加えて海が東の方にあるという点でも私の方向感覚が混乱したのである。東京で海岸に行ったことは一度もなかったが、それでも東京の地図が頭にあり、海の方向にどの地区があるかというくらいの土地勘はあった。ところが海の方向から日が昇り、海と反対の方向に日が沈むという現実にはなかなか馴染めず、方向を間違えることが、結構あった。こんなわけで、始めは、東京であまりきれいな夕焼けが見られないのは西の方に海がないからだろう、と勝手に解釈していた。今当地にまた移り住んで、改めて考えてみると確かに西に海があり、西方の空気がきれいな事には間違いがないだろうが、それだけではなく、大阪圏では東の空も含めて全体に、東京圏に比べて相当に空気がきれいで、空も済んでいるのである。下の写真は件の水路で、午後3時頃に撮った南の空である。青空の明るさや純度は写真ではわかりにくいが、印象的なのは白い雲のテクスチャーが細部まで実に克明に見えることである。これはやはり、空気が澄んでいるからだろう。

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東京の空が関西に比べて汚れているのは、これはもう宿命で、仕方がないといえる。東京圏自体の巨大さに加え、風上にあたる西方に、日本の大部分の都市群と人口がある。それにしても、空が明るく澄んでいるのはそれだけでなんと気持ちがよいことだろうか。