Twitter投稿再録ー2021年3月1日~4月11日
東京ドームシティ、ガラスの中から、一昨日の夕方 pic.twitter.com/2oboUgoJzq
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月3日
今日午後の富士山 pic.twitter.com/8ijYCj0h4z
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月4日
難波から阿倍野ハルカスがみえる。 pic.twitter.com/DUUozg72b4
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月5日
すべて視界の問題のみ。 https://t.co/vQNLwtr3VL
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月5日
数についてあまり考えることなく数学について考えてもあまり実りは得られないだろう。ところが英語のmathmaticsには「数」の概念が含まれていないのだ。ここに何か問題がありそうな気がする。この点では他のヨーロッパ言語も同じだが。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月8日
ブログを更新しました: ある噂(新型コロナウィルス関連の)の、ひとつの真相 https://t.co/1OXl9yK8m2
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月10日
スピリチュアル、略してスピ、最近よく使われるが、この言葉は好きではない。だいたい英語の形容詞を名詞として使う表現は好ましい表現とは思えない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月12日
ウィルスは目に見えないが、ワクチンの成分も目に見えない。ただ、ワクチンの溶液と容器が目に見える。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月15日
もっと「詭弁」について学習し、語るべき。ただし、「詭弁だ詭弁だ」と非難して騒ぐだけの人はよくいるが、どういう詭弁であるかを述べなければならない。それは難しいけどね。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月20日
スマホで撮れた月と桜 pic.twitter.com/aKlqBoWVZG
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月27日
最近、ネットでもテレビでもコマーシャルにイギリス民謡がよく流れるが何故だろう?なんとなく陳腐な感じ。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月30日
感染リスクが高まるとか低まるとかいうのはわからないでもないが、そのリスクそのものがどの程度のものか、さっぱりわからないのだなあ。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月31日
急な崖の階段は東京名物といってもいいかも。文京区 pic.twitter.com/BNTbtD5cNh
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月31日
怒ることと𠮟ることは違うといわれるが確かにそうだ。同様に、抗議することも怒ることとは区別しなければいけない。もちろん叱ることや抗議することが正当であるかどうかは別の問題。同様に自己責任云々も別の問題。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年4月10日
昨夕の不忍池と時々通る帰り道の光景 pic.twitter.com/y29V98VpRw
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年4月11日
Twitter投稿再録ー2021年2月16日~2月28日
はてなブログに投稿しました #はてなブログ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月17日
Twitter投稿再録ー2021年2月1日~2月15日 - 矢車SITE Ⅱ ― Twitter投稿転載https://t.co/w02nsJDpik
人はみな、迷うもので、何らかの思い上がりを一度ならず体験するものだが、、あらゆる分野において見識と先見の明を持っているという自信と思い上がりだけは何としても避けたいもの。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月17日
「上から目線」という言い方は、見事な表現力を持っている。誰が言い始めたのかなー。いずれにしても上から目線にならないように気を付けたいものです。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月17日
英語の「modify」は文法や特定の科学用語では「変更」ではなく「修飾」、つまり飾るという文字で訳されている。これは結構、無意識的なところで、問題を引き起こしている可能性がある。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月18日
芸術には多少の修飾、飾りは必要かも知れぬが、思想に飾りはない方がよい。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月18日
科学ではないものに科学の衣装を着せたがる向きがある。そんなことをしても逆効果だと思うのだが。やがてそんなことは流行らない時代がくる。 https://t.co/PL17NwJmzM
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月18日
思想に飾りを着せたりメッキをしたりすると一方で過度な信頼と期待を引き寄せ、他方で過度な不信感を呼び起こす。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月18日
過度な信頼と期待を集めること、逆に過度な疑念をもたせること、どちらも正当で実り多い理解を逸してしまうことになり、それは罪でもある。まあ人はみんな罪深いけどネ https://t.co/6G9VM5qna5
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月18日
Information が不可算名詞であることはよく知られている。コンピューターで処理していると言われるInformationは本当にInformationと呼んで良いものなのだろうか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月19日
ファクトチェックなる用語は最近、アメリカで作られたfact-checkという熟語をそのまま輸入した言葉に違いないが、最初からなんと気持ちの悪い言葉だろうと思っている。英語圏でこの種の言葉が盛んに作られ、日本に持ち込まれている。時間ができたら、掘り下げて考察してみたい。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月20日
人は(おそらく誰も)神秘から逃げ出すことはできないのだろう。神秘は美しくもあるが、不気味でもある。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月23日
こういう時代になれば多くの人たちがより哲学的にならざるを得ないのだろう。科学優位の時代は終わりを迎えつつあり、再び哲学優位の時代に戻ってゆくのだろうか。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月26日
メモ:科学は形式であって内容ではない。科学を重視するとか軽視するとか言ってもそれは科学という形式について語っているだけである。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月2日
言い換えると、中身が豊かでも、貧弱でも、空虚でも、虚偽であっても、形式が科学であればそれは科学といえるのである。科学で科学を評価することはできないのである。 https://t.co/xiTrUtAaHU
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月2日
カズオイシグロの本って読んだことはないが、これからも読む必要はなさそうだな。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月2日
情報中毒っていうものもあるかもしれない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月2日
ある人がユーチューブで、ファクトチェックとは一次情報をチェックすることだと言っているのを聞いたのだが、それなら「一次情報」という言葉をそのまま使えばよいのである。「一次情報チェック」ーこんな分かりやすい言葉はない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年3月3日
Twitter投稿再録ー2021年2月1日~2月15日
大晦日の根津神社、北の鳥居。 pic.twitter.com/Vd8fR5KCS1
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月1日
宅配配達員の皆様ご苦労様です。今年も宜しくお願い致します。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月1日
最近になってウィンドウズのタスクバーを右横表示に変えたがこれにはメリットが多い。全体に見やすくなるし、時刻やカレンダー表示も簡単に見られ、タスクバーの利用価値が向上する。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月1日
心の四つの機能と感染症対策 https://t.co/Qu1s5vJ6tT ― ブログ『発見の発見』を更新しました。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月4日
再通知です。 https://t.co/i0WuPThGFJ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月5日
夏目漱石旧居跡の1つ 銘板、猫付き pic.twitter.com/e6CA0IgKk4
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月7日
いったい『危機感』ってなんだろうか? 感情か? 思考か?感覚か? 直観か?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月7日
鴎外記念館とその向かい側の急な崖 pic.twitter.com/9vmZ52Ynxs
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月7日
デマとは要するにウソ。人のウソを事前に防止したり後から暴くことは容易ではない。つまるところ多くの証拠と証人を要する裁きであり、究極的には神のみぞ知るのである。なぜCNNキャスターの話だけを引き合いに出すのだろうか? https://t.co/4LxUmsOvzJ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
電子書籍でできないことの一つは、図書館や書店や個人の書棚を一覧できないことである。こういう一覧性の点では日本語の文字表現が断然すぐれている。アルファベット文字の表現は到底かなわない。日本での紙の書籍が根強い人気を持つ理由の一つはここにもある。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
ネット検索で、日本人の果物消費量が減少しているとの記事を多く見かける。いろいろ理由が挙げられているが、私が思うに、それは100パーセント果汁が低価格で得られるようになったからである。あまり指摘されていないようだが。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
今日は古い本を整理していたが、なかなか気の利いた本を買っていたものだなと、過去の自分に感心したこともあった。やはり本はうかつに、確認もせずに捨てるものではないなと思うのである。まだそうそう死ぬわけにはゆかないので。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
最近も盛んに発言を続ける脳科学者と心理学者の大量発言にはうんざり。どっちみち学問的でも論理でもない断片に過ぎないけれども。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
CO2温暖化説の誤りを見抜けない人の新型コロナ対策を聞く気にはなれません。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月10日
政府の対策が失敗したのかどうか知らないし、色んな面で良かったとはとても思えないけれど、こちらの意見も抽象的で具体性が感じられず、全くの感情論のように見えます。どっちもどっちだと思いますけどね。 https://t.co/a2KKZIjbb5
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月11日
デモと議会騒乱は別でしょう。 https://t.co/X8DeHS3LHt
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月11日
将来に向けて、言葉は進化し得るのだろうか?言葉の崩壊は医療崩壊よりも深刻に思える。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月12日
何か投稿したい気分だが、適当な言葉がないので、しばらく前に撮った写真でも投稿しておこうか。 pic.twitter.com/9i4Ft5gIZP
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月18日
感染拡大の原因分析が大雑把で恣意的に思えます。実際の裁判で、この程度の表面的な因果関係が証拠になるのでしょうか?どっちもどっち。 https://t.co/eQRBB5TEyh
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月19日
業界NO1の企業って必ずしも良心的でも公明正大でもない場合も多いことはわかっているのだが、それでも騙される。事前に調べないのはやはりこちらの怠慢というべきか。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月19日
世界金融の話はいつ誰に何度聞いてもよく、というか殆どわからない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月19日
だれが言い出したのか、「私は分断を許さない」という人達がいる。「分断」というあまりに抽象的な言葉と「許さない」というこれまた主観的かつ自己中心的なことばを掛け合わせていったい何の意味があるのか?理解に苦しみます。本当に苦しい!
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月23日
昨夕不忍池 pic.twitter.com/ZVftdTamPN
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月28日
注意してみると、Panasonic以外、どの意見も理由と結論との関係があまり論理的ではないように思えます。多少はあるとは思えますが。 https://t.co/HlX2Mii82I
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月29日
昨日UPした不忍池の続き。やはり傾きを修正するだけでかなり良くなったようだ。 pic.twitter.com/xYZDjWNHFF
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月29日
科学だからどうの、科学者だからこうの、といった幼稚な議論をするジャーナリストや文化人が増えてきましたね。科学や科学者に対する認識や見識はもはや小学生レベル。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月30日
とすれば恐らくコロナ以上にワクチンで対処ない可能性が高いですね。まずは免疫力向上。免疫力を低下させるような今のコロナ対策に何の意味があったのだろうか? https://t.co/jBW20sDhQ8
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月31日
科学や科学者といった言葉をレッテルとしてしか使えない。「科学の楽しさ」を教わった小学生時代の認識のまま。科学について何も自分の頭で考えてこなかったジャーナリスト文化人 https://t.co/8eYHI16Na5
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月31日
はてなブログに投稿しました #はてなブログ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月31日
Twitter投稿再録ー2021年1月1日~1月31日 - 矢車SITE Ⅱ ― Twitter投稿転載https://t.co/lbK6FA8Tfq
そもそも刑事罰の問題は科学の問題でも医学の問題でもない。科学者や医学者への責任転嫁ではないかと思えます。 https://t.co/2AbocUr1uh
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月31日
専門知識には関係するかもしれませんが、科学の問題ではないと思います。そもそも刑罰の問題は法律や倫理の問題であって科学の問題ではないと思いますが。 https://t.co/5keDnvZPXx
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月31日
出世という言葉が今の意味で使われるようになったのは何時のことなのだろうか? なぜか気になる今。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月2日
体系的に理論化できないものを理論化しようとしてはいけない。自然科学的な概念で語れないものを無理に自然科学の理論で語ろうとしてはいけない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月3日
必要があるのなら会議に時間がかかるのが悪いとは言えない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月4日
「分析」とか「予測」といった言葉は本来、目的語をとる動詞を名詞化したものである。目的語なしでこういう抽象名詞を使うべきではない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月4日
メッキが剥げても中身がしっかりしていれば恐れることはない。下手な、剥げかけたメッキなど、削り取ったほうが何倍もよくなる。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月4日
例えば、化学分析の報告書で単に「分析」というタイトルがあり得るか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月4日
また「化学分析」ならそれ自体で物質の分析であることがわかる。「予測分析」っていったい何? https://t.co/W8uV0BJWVz
「予測分析」っていったい何を予測して何を分析するのかね?また予測と分析はどちらが先なの?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月4日
予測の対象と分析の対象は違うのだろう?
情報工学の用語にはくれぐれも注意が必要 https://t.co/HVbdFdBwNc
過去事象を分析して将来事象を予測したり計画したりすることは昔からだれもが行ってきた当たり前のことである。コンピュータを使えば「数値予測(予報)」あるいは「コンピュータ占い」となる。もちろんどちらも有用性はある。それで十分。変な理屈付けの命名はいらない。 https://t.co/spxPE3SIKD
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月4日
冷凍のホウレンソウにないのは残念 https://t.co/CrRRO9Ug2a
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月7日
とにかくエビデンスというカタカナ語を見たり聞いたりすると理屈抜きに気持ちが悪いのは何故なのかなあ。もちろん理屈も大きくあるが、理屈だけではない。やはり日本語としての音だろうか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月9日
精神と物質との関係など、技術的な問題とは何の関係もない
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月11日
精神と物質の関係は科学技術が関与するような関係ではない
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月11日
今夕の東京ドームシティ- pic.twitter.com/P8fLeajJxd
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月11日
歴史的あるいは現在進行中の事象に非可逆的などといっても始まらないだろう。可逆的とか非可逆的というのは反応とか変化のメカニズムについて言うのであって実際の事象についてこんな表現は無意味。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月12日
今夕、湯島天神の梅花。 pic.twitter.com/xCE7ta11Ob
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月12日
人と機械の関係は本質的にはいつだって同じ。自転車もスーパーコンピューターも同じこと。人と機械が切り離せない、あるいは融合しているのは当たり前の事さ。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月12日
昨日アップし残したものから・・・ここで地震・・・ pic.twitter.com/J5X0SCf6DX
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年2月13日
Twitter投稿再録ー2021年1月1日~1月31日
ふと、ベートーベン、ヴァイオリン協奏第三楽章、中間部のなだらかなメロディーが心に浮かぶ。今の気分が呼び起こしたよう。そこだけを聞いてみるかな。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月1日
大晦日の根津神社、北の鳥居。 pic.twitter.com/Vd8fR5KCS1
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月1日
宅配配達員の皆様ご苦労様です。今年も宜しくお願い致します。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月1日
最近になってウィンドウズのタスクバーを右横表示に変えたがこれにはメリットが多い。全体に見やすくなるし、時刻やカレンダー表示も簡単に見られ、タスクバーの利用価値が向上する。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月1日
心の四つの機能と感染症対策 https://t.co/Qu1s5vJ6tT ― ブログ『発見の発見』を更新しました。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月4日
再通知です。 https://t.co/i0WuPThGFJ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月5日
夏目漱石旧居跡の1つ 銘板、猫付き pic.twitter.com/e6CA0IgKk4
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月7日
いったい『危機感』ってなんだろうか? 感情か? 思考か?感覚か? 直観か?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月7日
鴎外記念館とその向かい側の急な崖 pic.twitter.com/9vmZ52Ynxs
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月7日
デマとは要するにウソ。人のウソを事前に防止したり後から暴くことは容易ではない。つまるところ多くの証拠と証人を要する裁きであり、究極的には神のみぞ知るのである。なぜCNNキャスターの話だけを引き合いに出すのだろうか? https://t.co/4LxUmsOvzJ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
電子書籍でできないことの一つは、図書館や書店や個人の書棚を一覧できないことである。こういう一覧性の点では日本語の文字表現が断然すぐれている。アルファベット文字の表現は到底かなわない。日本での紙の書籍が根強い人気を持つ理由の一つはここにもある。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
ネット検索で、日本人の果物消費量が減少しているとの記事を多く見かける。いろいろ理由が挙げられているが、私が思うに、それは100パーセント果汁が低価格で得られるようになったからである。あまり指摘されていないようだが。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
今日は古い本を整理していたが、なかなか気の利いた本を買っていたものだなと、過去の自分に感心したこともあった。やはり本はうかつに、確認もせずに捨てるものではないなと思うのである。まだそうそう死ぬわけにはゆかないので。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
最近も盛んに発言を続ける脳科学者と心理学者の大量発言にはうんざり。どっちみち学問的でも論理でもない断片に過ぎないけれども。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月9日
CO2温暖化説の誤りを見抜けない人の新型コロナ対策を聞く気にはなれません。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月10日
政府の対策が失敗したのかどうか知らないし、色んな面で良かったとはとても思えないけれど、こちらの意見も抽象的で具体性が感じられず、全くの感情論のように見えます。どっちもどっちだと思いますけどね。 https://t.co/a2KKZIjbb5
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月11日
デモと議会騒乱は別でしょう。 https://t.co/X8DeHS3LHt
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月11日
将来に向けて、言葉は進化し得るのだろうか?言葉の崩壊は医療崩壊よりも深刻に思える。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月12日
何か投稿したい気分だが、適当な言葉がないので、しばらく前に撮った写真でも投稿しておこうか。 pic.twitter.com/9i4Ft5gIZP
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月18日
感染拡大の原因分析が大雑把で恣意的に思えます。実際の裁判で、この程度の表面的な因果関係が証拠になるのでしょうか?どっちもどっち。 https://t.co/eQRBB5TEyh
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月19日
業界NO1の企業って必ずしも良心的でも公明正大でもない場合も多いことはわかっているのだが、それでも騙される。事前に調べないのはやはりこちらの怠慢というべきか。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月19日
世界金融の話はいつ誰に何度聞いてもよく、というか殆どわからない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月19日
だれが言い出したのか、「私は分断を許さない」という人達がいる。「分断」というあまりに抽象的な言葉と「許さない」というこれまた主観的かつ自己中心的なことばを掛け合わせていったい何の意味があるのか?理解に苦しみます。本当に苦しい!
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月23日
昨夕不忍池 pic.twitter.com/ZVftdTamPN
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月28日
注意してみると、Panasonic以外、どの意見も理由と結論との関係があまり論理的ではないように思えます。多少はあるとは思えますが。 https://t.co/HlX2Mii82I
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月29日
昨日UPした不忍池の続き。やはり傾きを修正するだけでかなり良くなったようだ。 pic.twitter.com/xYZDjWNHFF
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月29日
科学だからどうの、科学者だからこうの、といった幼稚な議論をするジャーナリストや文化人が増えてきましたね。科学や科学者に対する認識や見識はもはや小学生レベル。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2021年1月30日
Twitter投稿再録ー2020年12月17日~12月31日
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— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月18日
Twitter投稿再録ー2020年11月30日~12月17日 - 矢車SITE Ⅱ ― Twitter投稿転載https://t.co/FC89F6B7Eb
仙童寅吉ゆかりの境稲荷神社 pic.twitter.com/Q77BoIgpRl
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月23日
不忍池上の半月 pic.twitter.com/7APykuPwgn
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月23日
夏目漱石生誕の地(新宿区)と旧居跡(文京区) pic.twitter.com/C5Zm8wuaFZ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月24日
グーグルマップの縮尺が知らぬ間にフィート、マイルになっていたので不愉快に思っていたところ、クリックするだけでメートル法と切替わることがわかり、一安心。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月26日
本音と建前、悪意あるウソと悪意のないウソを見極めることが情報リテラシーと言うべきものかも知れないと思う今日この頃。しかしそれは至難の業。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月26日
ブログ更新しました ―「意味」の周辺: いくつかの比較日本語論的トピックス ― その3― 最近のメディア空間でますます露わになったいくつかの... https://t.co/itCUGaSM0J
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月26日
インターネットにもリスクはある。固定電話にも携帯電話にはないメリットがある。通信手段は多いほどよい。ファックスも有用である。個人的によく知らないが、5Gの安全性も問題があるといわれている。 https://t.co/KEeRYKtaZz
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月28日
大幅に加筆および追記を行いました:「意味」の周辺: いくつかの比較日本語論的トピックス ― その3― 最近のメディア空間でますます露わになったいくつかの... https://t.co/itCUGaSM0J
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月28日
今夕の不忍池 pic.twitter.com/efU5yRGLNB
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月28日
そんなことをするより少なくとも屋外では逆に鼻の下までマスクを下げて何の問題もありませんよ。鼻を出してマスクを着けている人はたくさんいます。オーソリティーの中にも。 https://t.co/r5HcvXxdky
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月28日
感情よりも直観をとる。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月31日
ツイッターも記事の多くはつまらなくなりましたね。かつて見ていた有名ジャーナリストや学者文化人のツイートも殆どまともに読まなくなりました。それでもツイッター自体はそれなりに重宝はしています。 https://t.co/maBsRzcAYV
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月31日
Twitter投稿再録ー2020年11月30日~12月17日
はてなブログに投稿しました #はてなブログ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月30日
Twitter投稿再録ー2020年11月15日~11月30日 - 矢車SITE Ⅱ ― Twitter投稿転載https://t.co/8oWAHXtPAM
11月から師走へ、今日この頃 https://t.co/mTJNQeD6x8 ― ブログ『矢車サイト
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月2日
』を更新しました。
観客を入れればいいのに https://t.co/SzzY9H4TfK
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月4日
何の話かは知りませんが、今や「ネトウヨ」とか「陰謀論」とか、自分勝手な定義でしか使えないような言葉に頼って感情的な発言をする知識人が多くなったことは本当に憂うべき。 https://t.co/znNZrLPa7t
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月4日
新型コロナウィルスとコロナウィルスとを区別して考察して頂けないでしょうか。 https://t.co/h9lb8DxYJz
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月4日
つまり、コロナウィルス一般に言えることであれば新型コロナも従来の風邪とそう変わらない、同じように予防できるということでしょうか。 https://t.co/h9lb8DxYJz
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月4日
白山通りの銀杏 pic.twitter.com/wTZbl6nMEf
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月4日
この色調はLEDの照明によって初めて得られたように思われる。 pic.twitter.com/3cCyKO9vnA
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月5日
最初から対象をデマと決めつけて論じているのは如何なものでしょうか?ちょっと見ただけの印象ですが、公平な議論には思えません。 https://t.co/0KbixFvwvL
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月5日
ファクトチェックという言葉も独り歩きしている。こんな外来語は要らない。 https://t.co/0KbixFvwvL
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月5日
ファクトチェックサイトという表現も不遜で気持ちが悪い。端的に言って完璧なファクトは神のみぞ知るのである。 https://t.co/0KbixFvwvL
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月5日
CO2温暖化説ではどこまで「ファクトチェック」をされたのでしょうか? https://t.co/0KbixFvwvL
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月5日
話題にかこつけた美辞麗句と牽強付会 https://t.co/2sGPI53eLc
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月8日
単にマスコミ情報を拡散するだけの政治家・ジャーナリスト・文化人の多さ。オリジナリティの無さ。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月8日
単に「こわい」って、あまりにも盲目的で、感情的。検査そのものを含めて分析が必要。どこどこで、どういう人たちが、どういう検査を受けて、どういう経過をたどっているのか。 https://t.co/CilPW3xZjw
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月9日
まあなんと盲目的に恐怖を煽るだけの、「知的」なはずの、ジャーナリスト・文化人の多いことか。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月9日
本当にそうですね https://t.co/2sSNQmg22U
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月10日
「新型コロナ感染拡大」の対策がなぜ「新型コロナ感染拡大対策」ではなくて「コロナ対策」なの??? https://t.co/0CsTUgDvQj
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月11日
これは上昌広氏の個人的見解を紹介しているだけでしょう。 https://t.co/7aSv75UP1X
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月11日
クラスターなんて掴みどころのないもの、最初から追えという方が無理。クラスターという概念自体がいい加減で無責任極まりない。 https://t.co/MLaKpY3oxg
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月11日
我々一般人は新型コロナウィルスの到来以前にコロナウィルス一般について何も知識がなかったのである。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月12日
そういうところに、いきなり『新型コロナウィルス』という新しい概念と言葉が拡散されるようになり、少なくとも日本では『コロナ』という、『ウィルス』とは何の関係もない言葉で問題が取りざたされるようになった。 https://t.co/3TC9JVQR9F
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月12日
個人的にGoToはどうでもよいと思いますが、もっと本質的な問題を議論するために、とりあえず中止した方が良いとも思います。でもそれができるかどうか。 https://t.co/5CXIR39ZPs
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月12日
寒いときは顎の下に下ろして着けるとマフラーのような保温効果が得られてメガネも曇らず快適です。あまり格好よくありませんが鼻まで覆うよりはまし。 https://t.co/LpR46b0du1
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月12日
相変わらず科学的ではない感情的な発言が氾濫していますね。 https://t.co/AepY0E80vp
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月12日
専門家はたくさんいる。専門家が訴える「危機感」の中身も多様に異なる。必要な「危機感」もあれば無用な「危機感」もある。 https://t.co/zVPjdq0Kpp
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月12日
政府にGoToキャンペーンを中止させるのは良いことかもしれないが、その後の政府に何を求めるつもりなのかが見えて来ない。政府に要求したり追求すべきでGoToキャンペーンもっと重要な問題があるように思うのですが。 https://t.co/NPZzNbXfwt
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月13日
とにかくウィルスの侵入が怖いのであれば、空気感染ばかりに気を取られずに他の可能性について十分に自分で調査し考える必要があるだろう。免疫力向上対策が基本だと思うが。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年12月14日
11月から師走へ、今日この頃
10月末日の満月の日、上野の歩道橋上から。以下は11月内。
不忍池から見る東京スカイツリー。やはりスマホのカメラでは難しい。昼間の姿はあまり好きではなし。
赤い紅葉は多分桜の木。不忍池には派手なモミジがないが、これも不忍池らしい風情。
何か意味ありげな雲。
今年はことのほか渡りのカモが多いように見える。
三日月。結構きれいに撮れている。
ここまで暗くなるともう三日月らしくは撮れなくなった。
写真は以上。
この11月はCOVID-19の影響かどうかは分からないが仕事が少なく、懸案の投稿論文の書き直しに明け暮れることとなった。
この論文は今年の初めから二つの心理学の専門誌に立て続けに投稿し、そのあとまた二つの総合科学雑誌に立て続けに投稿し、採録を果たせなかったものである。二つの心理学専門誌について言えば、どうも、私の論文の内容が高度であり過ぎたらしい。もちろん表現が整理されておらず。理解しづらかったことは間違いなくあるが、ある意味で哲学的であり過ぎたともいえる。というのは、最初の論文の査読者の1つは、ドイツ人であったこともあり、「偉大な哲学者であるマッハとカッシーラーに基づいたこの論文の内容の一部は恐らく正しいと思われるが、この雑誌の読者はそのようなことを理解するような教育を受けていない」というコメントが付けられていたからである。次に提出したもう一つの心理学雑誌では編集者から査読に回さずに返却され、「もっと専門的な投稿先に投稿する」ことを勧められた。このテーマ以外の論文なら歓迎するとも言われ、多少は私も気をよくした面もある。何れにしても今の一般的な心理学というのはかなり表面的で深く哲学的に掘り下げないことがわかる。それが『実験心理学』というものであることがようやく理解できるようになった。
そこで次に、これまでの当方の経歴上、どのような投稿先があるか知らなかったものだから、有名な総合科学雑誌二つに、続けて投稿した次第なのだが、この総合科学雑誌という選択に間違いがあったようだ。いずれも現在、例のCOVID-19関連の医学ないし生化学系の論文が殺到して、てんてこ舞いの状態であるらしい。もちろんそれ以外にも膨大な応募論文に対応しているらしいことが、当然と言えば当然だが、わかる。そういった次第で、いずれも査読に回さずに返されたわけだが、それでも後のほうでは編集者から、私の論文は内容的には「intriguing」であると言ってくれたのは、お世辞かもしれないが正直、うれしかったことは間違いない。
その後また別の投稿先を探し、ようやく哲学に傾いた心理学系の雑誌を見つけてそれに対応できるように改訂版を作成し、本日投稿を完了し、取り合えず提出は受理されることとなった。最初からよく調査をしてこの種の雑誌に投稿すべきであったかもしれない。とはいえ、いろいろと傾向の違う雑誌に向けて原稿を書き直すうちに内容も整理され、新しい発見もあり、これはこれで良かったと思っている。もちろん、この雑誌に採録されるかどうかはまだ全くの未知数である。