表記の本を購入し、先の週末に読み、今日ざっと繰り返して再読した。この4月5日にラジオ放送された鼎談に加筆修正された本であるとのことで、私は普段あまり新刊本を買う人間ではないのでこのような緊急出版という類の本は滅多に買わないのだが、この本を買ったのは第一に薄いペーパーバックで安い本であったこと(とは言っても収益の一部を被災地に寄付とのこと)もあるが、主に次のような理由による。ひとつはこの本の複数の著者に一定の関心があった事、もう一つは目次を見ると「エコロジーを超えて」という表現があり、それが気になったからである。というのも最近エコロジーについて考える事が多く、当ブログの前回記事でもエコロジーについて触れたからでもある。そういう事もあって、エコロジーの大家とも言える中沢氏がどのようなことを発言をされているかに興味が持たれたのである。
中沢新一氏の本は一冊半ほど読んだことがある。一冊というのは「チベットのモーツァルト」で、その感想は当ブログの初期にも書いたように、比較的近年になってのことで、文庫本が出ていたからでもある。もっと昔、中沢氏の新刊書を幾つか購入したり書店などで手に取ってみたことは何度もあるが、どうも難解で馴染めず、読み通せなかった。ただ、最近では南方熊楠に関心をもつエコロジーの喧伝者でもあるという印象が強かった。私自身はエコロジーに関心はあったものの、敬遠していたが、初期のチベットのモーツァルトをとにかく読み通し、難解ながらも一定の深い印象を与えられたことがあり、改めてその著者にも関心を持つようになっていたというところだろうか。
内田樹氏の本は一冊も読んだことは無かったが、断片的な文章はネットその他の媒体で読んだことはあった。中沢氏とは反対に、比較的平易な文章だと思っていたが、逆にそのために敬遠していた面がある。しかし人気の高い人であるだけに気にはなっていた。
この本を読む契機については以上の様なところである。そして読後の結果だが、興味深い論点あるいは思想的な断片とでもいうべきものがいくつかはあるが、一言で言って失望の方が大きかった。最後の方になるとむしろ不愉快にさえなってきたのである。
まず、対談だから仕方のない面もあるが、かなり軽率でいい加減な発言や意識が感じられた。例えば次のような発言がある。
中沢:原子力の開発の初期、放射性物質の研究をおこなっていたころのこと、キュリー夫人は身をもって、というか手づかみで実験して、最後は全身ガンだらけでなくなったそうですよ。
内田:そうでしたねえ。
キュリー夫人の娘が書いた彼女の伝記が今も手元にあったので確認して見たが、死因は赤血球と白血球が減少する貧血の一種で、骨髄の機能が放射線の影響を受けたのだろうということであった。ウィキペディアを見ても再生不良性貧血とあり、放射線の影響が疑われていることは確かであるが、全身ガンだらけというのは不適切というより、間違いというべきだろう。ラジオ放送の対談でもあり、多少は大まかな記憶をしゃべってしまうようなこともあろうが、一応後から加筆されている筈であるし、第一、問題が本書の基本テーマにも関わる内容である。私自身はちょうどこの対談が行われていた頃、キュリー夫人のことを思い出し、ウィキペディアで調べていたのである。私は他の大多数の人達と同様、職業学者でもなく、当然中沢氏のような思想史上の豊富な知識もないし、影響力もない。そういう殆どの人間にとってやはり気になるのは同じ科学でも核物理学よりも放射線医学の方であろう。そして私の場合、主としてインターネットに限られるが、低線量放射線のリスクの問題について多少の専門的な論文を含めて読んで見たのである。それは筆者の別のブログhttp://d.hatena.ne.jp/quarta/に報告している。これらの資料に当たってみて気付いたことは、私たちはいままで如何ににこの問題に付いて漠然としたイメージでしか知ることがなかったのかということに気付かされたことだと思っている。漠然としたイメージで単純に放射線は怖い、人間には相容れないものである、といった印象を持っていただけで、数値的なデータなどの具体的な事については何の知識もなかったのである。本書読後の印象では、著者の三氏ともにこの点では以前の私とそう変わらなかったのではないかと思われる。だからこそ、キュリー夫人の最後についてあのような思い違いをしていたのであろう。私自身にしても昔読んだ伝記であるから正確に記憶していたわけではないので、この機会に確認することがなければ、人に聞かれると中沢氏と同じような軽率な話をしたかも知れない。
これと関連するが、本書の初めのほうで中沢氏はこの頃「ずっと東京にいて原子核物理学の本を沢山読んでました。ですから気分的には、もう最前線にいたんですけれども。」と発言している。原子核物理学の本を沢山読むなら放射線医学の本はなぜ読まなかったのであろうか?と思うのである。もちろん読まれたのかも知れないが、放射線医学に興味をもち、キュリー夫人の話が出てくるくらいであれば、キュリー夫人の死因について調べ直すくらいのことは当然のことだと思えるのである。
中沢氏にしてみれば今回の原発問題をどうしても思想の問題として捉えなければならず、許容値とか閾値といった具体的な問題にかかずらうのは次元の低いことに思えたのであろう。「思想」の問題にするにはどうしても核物理学という高度で物質についての根源的とも言える学問分野でなければならなかったのだろう。しかしこの問題は国民の健康に関わる重大な問題である。「思想」にも影響を与えかねない問題なのである。
本書では確かに思想的に興味深い視点や論点が幾つか提示されている。後でそれについて私なりに検討しなければならないのだが、本書の最後の方で、思想の帰結という事になるのだろうが、その思想を実現する現実的な対応ないし行動という問題に及んでくると、「綠の党(みたいなもの)」の結党が提案されることになり、その内容はといえば、最初の方で暗示的に批判されていたとも受け止められる処の、現行の原子力と自然エネルギーとの二者択一の枠組みでの自然エネルギーを選択するという、現在巷間とネットを賑わしている論調に落ち着いているのである。それが技術的、経済的な合理的な根拠も示されずに提案されているところは、昨今の普通の(学者ではない)ジャーナリストや活動家や著述家らの主張、提言、提案と何ら変わるところがないのであり、ただ、自身がこれまで(そんなに本格的にでもなく)運動を進めてきたということを背景に、技術的・経済的な根拠も示さずにただ太鼓判を押すだけというのも同じなのである。「孫正義さんにお金を出して貰いましょう」という発言が飛び出してくることまでも全く同じである。
さて、その問題の「思想」については回を改めて検討して見たい。本書を読むことになった主な動機が中沢氏のエコロジーに対する考え方の変化についての興味にあったわけで、その点では期待どおり、エコロジーを中心に展開されていると言える。しかし、重要な点で、私の期待しているような方向とは基本的に正反対のようだ。
・・・・次回に続く予定。