矢車SITE ― 改訂2022年11月

写真を主とした本人の日記代わりのようなブログで、つぶやきのようなものですが、 当人の別ブログ記事の更新紹介も行っています。

いったん別のサイトに移転した本ブログのメイン記事を本サイトに戻しました。部分的にTwitter投稿を一定期間を区切って掲載したものが含まれます。

「意味の周辺」記事

解像度の意味 ― 「相対的」解像度と「絶対的」解像度を区別すればどうだろうか

「解像度」という言葉は一応は英語の「resolution」の日本語訳のような印象があるが、必ずしもそうとは限らないようだ。resolution は分解能と訳される場合も多く、こちらのほうはどちらかと言えば機械装置の性能といったニュアンスが強いような気がする。解…

自然、または地球の「意味」と気象 ― 芸術が欺瞞に陥らないように

自然、または特に昨今では地球という言葉で人々が意識する意味の範囲はその時どきの文脈で大きく異なる。人間を自然に含めるかという大問題はこの際、問わない。また生きた生物も含めないようにしよう。それでも状況によって自然の意味範囲は随分異なるもの…

白洲正子の西行、ソローの森の生活、コンノケンイチの宇宙論 、・・・・― 読後、読書中断、読書中、その他予定など

このブログではこれまで毎回一応は1つのテーマでまとまった内容を書いているつもりだったので、今回のような日記風のまとまりのない記事はちょっとそぐわず、フェースブックの近況とかで書くのに向いているかもしれない。しかしすべて、一応は本と読書に関わ…

自然とエネルギーの意味論

自然とエネルギーという二つの言葉が飛び交っている。端的に言って「自然エネルギー」という熟語が飛び交っているが、キーワードとしては「自然」と「エネルギー」という二つの言葉として分析される事を、言葉自体が望んでいるかのように見える。とりあえず…

内田樹×中沢新一×平河克美著「大津波と原発」を読んで

表記の本を購入し、先の週末に読み、今日ざっと繰り返して再読した。この4月5日にラジオ放送された鼎談に加筆修正された本であるとのことで、私は普段あまり新刊本を買う人間ではないのでこのような緊急出版という類の本は滅多に買わないのだが、この本を…

自然信仰という言葉で表現されているもの

一月ほど前、世田谷美術館で開催されていた白州正子生誕100年を記念する展覧会を見に行き、少し前に別のブログ「ミュージアムとガラスギャラリー訪問記」にその印象記を書いた。展示作品の印象とかそれらにまつわるあれこれを書いたわけだが、最後の方に付け…

政治とビジネスに取り込まれた科学

今日、大型書店内の科学書籍の売り場を見回して気付いたことだが、「物理学」や「生物学」などは伝統に従って以前のように分類されているのだが、なぜか「環境」という分野がいやに幅をきかせている。そこではいまだにCO2温暖化説の新刊書が溢れている。「環…

なぜ「リテラシー」という言葉が良くないのか

これまで、どれだけの人たちの目に止まったかは分からないが、ツイッターで何度か、リテラシー、特になんとかリテラシーという言葉が嫌だということを衝動的につぶやいた。はっきりとなぜ嫌なのかということを言えなかったのだが、今日、はっきりとそういえ…

『検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定』という呆れた新刊本

書店で表記の新刊本(文芸社)が目についたので手に取ってみた。 表題からして、おかしな本であると私には思える。というのは、もう一般的に通用するようになってしまった陰謀論という言葉自体、奇妙で無責任な意味不明の造語であると思われる上に「パーセン…

『眼の誕生 ― カンブリア紀大進化の謎を解く』 を読んで

この記事は筆者の別ブログ「発見の発見」の方に掲載しました。 「眼の誕生 ― カンブリア紀大進化の謎を解く」を読んで

引っ越ししました。前回までの分は前のサイトにも残っています。

昨日、当サイトに引っ越しました。前回までの分は前のサイトにも残っています。 http://imimemo.blogspot.com/ 他のブログは前のサイトで継続しています。 http://takaragaku.blogspot.com/ http://glglvisitor.blogspot.com/ http://d.hatena.ne.jp/quarta/…

縦書き及び横書きの機能性の差異と鏡像問題 その4 (まとめ)

はじめに ― 前回の記事では筆者が何を言いたいのかがよく分からない・・、どこに新しい主張や発見があるのか分からないという感想がありましたので、今回はまずそこのところから始めたいと思います。【何が言いたいのか】何を言いたいのか?一言でいって量よ…

イメージとメディアまたは(画)像と媒体

(はじめに)イメージは一種の「意味」であると言えます。今日からこのブログのラベル(カテゴリー)に「イメージ」を加え、このカテゴリーでの記事を追加してゆくことにしました。主として次の3つの契機によります。1.最近に始まったわけでもありませんが…

「二大政党制」という言葉と概念への違和感

制度であるかどうかはともかく二大政党制という状態が現在の日本で好ましいもので、望まれるものであるかどうかは私には難しすぎる問題でよくは分からないが、全く分からないでもない。ただ、この「二大政党制」という言葉、さらに「二大政党制が望まれる」…

「疑似」という言葉の弊害

最近、といってももう可成り前になってしまったかも知れないが、2つの文脈で「疑似」が使われている例に遭遇した。1つはウィキペディアでLEDランプについて調べてみたとき。もう1つは作家の冷泉彰彦氏のメールマガジン[『from 911/USAレポート』第…

クラリネットはガラス工芸、ヴィオラは陶磁器

最近、名ビオラ奏者と言われるバシュメットという人の演奏するブラームスのヴィオラソナタ、つまりヴィオラとピアノによる二重奏ソナタ2曲とチェロが加わったビオラ三重奏曲の入った中古CDを買った。ブラームスのこれらのソナタ集、すなわちクラリネット(ビ…

地球温暖化問題の個人的重圧 ― 前回に続いて

要するに科学上の問題も政治的な問題と同じようなプロセスで決められているという事なのである。しかし、形式的には、科学理論の決定に多数決のような民主主義的ルールは通用しない。そこで拠り所となるのが権威と専門性なのだ。前回の冒頭で述べた前提を繰…

地球温暖化問題の個人的重圧

私は社会的には地球温暖化問題からは何の重圧も受ける立場にはない。専門的にそのような問題と関わる研究者ではないし、政治、経済的に多少とも責任ある立場にいるわけでもない。利権などはもちろん、単に職業的にでもエネルギー産業に関わっているわけでも…

カッシーラー、「シンボル形式の哲学第三巻認識の現象学」を読み終えて

いつ、つまり何年何月何日何時何分に、というわけでも無く、この書物を一応読み終わった。と、こういう表現になるのは、最後のあたり、もちろん完全にというわけには行かないが、一応読み終わったと納得できるように読了したいと思いながら、途中で少し前の…

「信じぬものは救われる」という、本のタイトル。

書店の棚を眺めていたときに、「信じぬものは救われる」というタイトルの本が目に留まった。著者は香山リカ氏。この人が書きそうなタイトルだなと思ったが、一方、個人的には違和感のある、印象のよくないタイトルである。それも狙いかも知れないが。・・・…

言葉の私物化 ― その2

以前、言葉の私物化というタイトルで少し、思った事を書いたので、今回引き続いて書かざるを得ないような気持ちになった。というのは、「みんなの党(Your party)」という、新しくできた政党の名前についてのことである。いくら何でも、政党の名前という、…

移植臓器の「不足」 ― 違和感のある言葉

臓器移植関連のニュース記事や論評で気になる言葉に「移植臓器の『不足』」という表現がある。個人的に違和感をもつ言葉は沢山あるが、こんなにも強い違和感を感じる言葉も少ない。現在、移植臓器が「不足」していると言うのなら、こういう事は臓器移植とい…

科学と論理と「陰謀論」、そして専門性

陰謀論という言葉が最近特に目に付くようになっている。私自身も最近、ブログで使ってしまったが、よく考えると変な言葉、少なくとも、注意して用いなければならない種類の言葉で、事実、ブログなどではそのような、この言葉を使うことへの批判的な論調も少…

言葉の意味の面からダーウィン進化論について思うこと

ブログ発見の「発見」、2/24日の記事で英米ニュースサイトでのダーウィン主義進化論のニュース記事に触れ、多くの記事をろくに読まないまま、個人的な感想を書いた。その続きのような形で、その後考えたことをこちらで書いてみたい。あらかじめ断っておくと…

温暖化問題と専門性について

温暖化問題で言えば、少なくとも対立する専門家同士の意見ないし説明を比較することは一般人でもできる訳ですね。まあそれしか道がないわけですし、また現実の生活に繋がる問題ですから比較検討する必要もあり、政治家にとっては比較検討し、判断する義務が…

進化生物学の比喩について ― ブログへのコメント

蒼龍氏のブログhttp://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20090306へのコメントをさせて頂いたのですが、同じ問題で3回目になり、長くなったので先方のコメント欄からこちらの方に切り替えました。ひとまず安心しました。何度もご回答頂き有り難うございます。…

言葉の私物化

最近の急激な社会と政治経済の状況変化をきっかけに小泉元首相の再評価、というより批判的見直しがもうすでに一般的になっている。 私が小泉政権の時代に最もいやな感じがしたことは、彼の言葉の用い方、言葉使いであった。いわゆる「言葉の巧みな人」であっ…

カッシーラー シンボル形式の哲学[2]神話的思考、を読んで

昨日、何とかこの2巻目を読み終わった。読み始めたとき、第一巻の「言語」よりは読みやすそうだと思ったのだが、その期待は裏切られた。とにかく1巻目同様難しかったし、続いて読み始めた第三巻は更に難しいかもしれない。この本よりももっと有名で、かつも…

「ニセ科学」という概念とカテゴリーの持つ問題について

以前はてなのブログ『「発見の」発見』でニセ科学批判に関する問題を取り上げたところ、そのブログとしては最も多いアクセスがあり、そのブログの記事の中ではもっとも反響のあったものだった。「ニセ科学、疑似科学論議よりも具体的な批判を」この記事はそ…

カッシーラー著「シンボル形式の哲学第一巻 言語」を読んで

しばらくまえにこの書物、カッシーラー著「シンボル形式の哲学第一巻 言語」(木田元訳岩波文庫)を一通り読み終わった。もう一度は読み直さないとは思っているが、続刊二巻以降も早く読みたいと思うようになって、先日、確実に置いてある書店まで買いに行っ…