小石川植物園にて ― 2020年10月下旬 ―
正門入口付近
クモがお出迎え
ソテツがあり、向こうにススキあり、植物園らしい。
本館。
風情があるけれどもいかにも古びた印象。
博物館ではないので関係者以外は立ち入り禁止。しかし立ち入ってみたい気を起こさせる玄関。ただここまで近づく入園者は他にいなかったが。それにしても古い。
この日の午後はやるべき作業がなかったわけでもないが、天気がよく明るいバラ園にでも行ってみたくなった。しかし準備不足でもあり、歩いて行ける小石川植物園に行くことにした。ここは多分20年以上も前に友人に誘われて初めて来たとき以来の訪問である。予想通りバラ園はなく、坂を上ってゆくと下のような標識が。
これがニュートンのリンゴの木。ニュートンが眺めていたリンゴの木で、世界各国の博物館などに分け与えられているそうである。
ケントの花という品種名らしい。
(今ではニュートンのリンゴの木が見られるといってそれほど有難く思うわけでも感激するわけでもないが、やはり、こういうものにはいまだに気持ちをそそられる。それは若い頃に抱いていた科学へのそこはかとない憧れの感情である。それは科学というよりもむしろ科学という言葉、概念に付帯する感情のようなものである。これについてはちょうどいま漱石の文学論を読み始めたことで認識を新たにさせられた。それによると、文学的印象は[F+f]からなり、Fは基本的な観念であり、fはそれに付着する情緒を意味するとのことである。確かにこれは、当を得た重要な着想であると思う。とすれば、科学も、文学でもありえるということになろう。純粋にFだけ、あるいはfだけということはあり得ないのだから)
この道の左側は樹木もまばらで明るく、あちこちに人々が集っている。一方、反対側は暗い森の印象である。
菩提樹が見られるとあって、明るい方は諦め、暗い森の方に進んでいった。
案内板にボダイジュ並木と書かれていたので、もしかしたらドイツなどで街路樹として有名なLindenbaumかと思ったのだが、並木の印象とは程遠く、このような無秩序に鬱蒼と茂った数本の大木の群生であった。
Tilia miqualiana Maximとあり、後でウィキペディアで調べてみるとこの日本語のボダイジュはアオイ科で、ドイツのLindenbaumとも、お釈迦様縁の菩提樹とも異なる科の樹木であることがわかる。ここでは無秩序に生い茂って木の姿も捉えられないが、それにしても見ごたえのある立派な大木であることに変わりはない。なによりも菩提樹、ボダイジュという名前ですべてが繋がっている。この名前は漢字でもカタカナでも字面がよく、発音も美しいので、ボダイジュは好きな木である。昔、小学校の遠足で大阪のどこかのお寺で見た記憶があるが、樹形としては楠のような印象を持っていた。ただここでは庭木としての手入れはされていないらしい。
紅葉はまだほとんど見られなかったが、なぜか1枚だけ色づいた葉がおちていた。
樹種は分からないが、地味な黄色と紫の紅葉がそれなりに美しい。
針葉樹の森
総合研究博物館小石川別館。
現役で使われているみたいだが、重要文化財。写真を拡大してみると、コンクリート造りのよう。玄関屋上のバルコニーの欄干には擬宝珠がある。
エンジュ
名前は分からないが、印象的な樹形。庭木のような剪定はしていないのだろう。
帰りは坂を上って茗荷谷駅前を通り、大型スーパーで買い物後、引き続き時間をかけて徒歩で帰宅。