Twitter投稿再録ー2020年11月4日~11月15日
はてなブログ更新しました #はてなブログ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月5日
Twitter投稿再録ー2020年10月1日~11月4日 - 矢車SITE Ⅱ ― Twitter投稿転載https://t.co/mD9atpwtN5
知識人が思考を停止してしまったらどうなる?もう知識人ではなくなる。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月5日
ゴアが敗北を認めたのは本当に立派なことだったのだろうか?まあ判りませんが。 https://t.co/LVZxkAMppG
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月7日
本当に敗北したのなら敗北を認めるのは当たり前だし、敗北宣言で人物評価ができたとしても政治とは関係ないと思いますけどね。 https://t.co/LVZxkAMppG
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月7日
クラスターって発生するものではなく、発見されるものだと思います。 https://t.co/in68MQFa4V
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月7日
昨夜のニュースでロックダウンを再開される前のロンドン市民の様子が放映されているのを見て思った。悔しいけれども、自分の頭でものを考える度合いは日本の市民より英国の市民の方が格段に高そうだ。夏目漱石が見た頃と同じ。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月7日
ベートーヴェンと同じポーズをとったと言われる散歩姿ですね https://t.co/TJXQE0jVt4
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月8日
そうですね。でも「読書や英語ではなく」とまでは言えないと思います。 https://t.co/6W5sRawVEL
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月9日
ブログ「意味」の周辺を更新しました:感染者と言う言葉の独り歩き(その2)― 感染者(数)という表現の独走態勢 https://t.co/KRf4KB0NOw
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月10日
寒さを我慢して体温低下、免疫力が低下しないようにお気を付けください。 https://t.co/2V5X3Skej0
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月10日
ブログ更新のお知らせ(再)「意味」の周辺:感染者と言う言葉の独り歩き(その2)― 感染者(数)という表現の独走態勢 https://t.co/KRf4KB0NOw
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月10日
昨日のブログ更新記事に大幅追記を行いました:感染者と言う言葉の独り歩き(その2)― 感染者(数)という表現の独走態勢 https://t.co/KRf4KB0NOw
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
「感染者」については単に人数のみが伝えられる。「クラスター」についてはなぜか「発生」したと伝えられる。どちらにしても変。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
そういう印象ですが、「一億総~」というのは言い過ぎと思います。特に声なき一般の日本人がみなそう思っているかどうか。 https://t.co/8x0MU4NXod
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
批判的な意味で「一億総~(何とか)」という表現をすることがよくある。遊びやファッションの流行などについていう場合は良いと思うけれども、政治的意見のような重要な問題についてこういう軽薄な表現はどうかと思う。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
昨日のブログ記事を追記更新しました(再)。「意味」の周辺:感染者と言う言葉の独り歩き(その2)― 感染者(数)という表現の独走態勢 https://t.co/KRf4KBipd6
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
ブラウザーが記憶しているパスワードを表示できることにやっと気が付いた。もっと早く知るべきだっが。知るべきことはやはり沢山あるものだ。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
寒さとウィルスに対抗するには寒さ対策に加えて身体の抵抗力、免疫力を高めることが第一だと思います。角を矯めて牛を殺すような過剰な防疫対策はいかがなものでしょうか。 https://t.co/DHkcGp7thc
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
角を矯めて牛を殺すような過剰な防疫対策は逆効果ではないだろうか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
感染者と言う言葉の独り歩き(その2)― 感染者(数)という表現の独走(追記あり) https://t.co/sD0XlA4Lgz https://t.co/we3qtSmu3f
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月11日
PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査そのものの本質について議論を深めずに「無謬主義」といった普遍的である意味感情的な問題をどうこう言っても始まらないと思います。 https://t.co/DVPM2JBV9M
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月12日
「ネット右翼」という言葉も「独り歩きしだしたシニフィアン」の典型かも。いわば幽霊船のような言葉。https://t.co/0K0GEwAYeb https://t.co/Gud9M4IqEK
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月12日
感染抑制と経済活動を両立させたいのならスウェーデンに学べばよいと思うのですがね。簡単なことだと思うのですが。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月12日
数字に形容詞を付けるだけで、何の意味があるのであろうか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月12日
「反コロナ」って意味不明。全くの感情論ですね。 https://t.co/celUOED4eC
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月12日
とかく感情論になりやすいツイッターの空間。可能な限り論理を詰め込むことが真の知識人の務め。むしろ饒舌で無駄にスペースを使っているジャーナリストも少なくないように思う。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月12日
①コロナウィルスと新型コロナウィルスは区別してくださいね。②ウィルスの殺傷力を考えて免疫力を考えないのは片手落ちです。③マスク着用で「感染拡大」を防ぐことができたかが問題なのです。 https://t.co/aV5Gv7wy0X
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月13日
世の中、マスクでウィルス侵入が防げるという思い込みですべての論理を進める傾向が強い印象です。この(間違っている可能性が高い)思い込みが事態を悪化させている可能性が強いように思われます。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月13日
テレビニュースで見ましたが、東大で行われた問われるマスクによる飛沫中ウィルスの通過率は50パーセント前後であったように思います。この程度ではあまり意味がないし、マスクに滞留したウィルスの問題も未解明。番組でも「効果を過信してはいけない」とも言われていたと記憶しています。 https://t.co/1E1ZDDHKc7
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月13日
新型コロナ感染者問題では単に発見(検出)したに過ぎないことを「発生」というのも不自然ですね。症状なら発生日時が決定できるでしょうけど。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月13日
中小に恩恵をもたらすには過度で無意味な規制を止めることだと思います。GoToを止めただけでは仕方がない。 https://t.co/Kec10IcW5u
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月14日
自分の頭で考える度合いは見かけによらぬものだなあと思う ― 最近つくづく。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月14日
「感染拡大」の理由として気候変化以外に合理的な説明がさっぱりないように思います。寒さであるなら、寒さ対策をすれば良いので。逆に考えると、これまでの規制に効果がなかったか逆効果であったからという考えも成り立つ。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月14日
「対策」のまえにまず正しい「分析」を。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月14日
人の移動といっても色々ある。国内移動ならいまさら関係ないでしょう。ロックダウンされてきたわけでもないのに。とにかくこれまでの分析と再検討が行われないまま、急いで感染対策ばかりを論議しても始まりません。 https://t.co/0uezsfzB9i
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月14日
必要なのは性急な「対策」よりもます、今まで行われてこなかった「分析」と再検討だと思います。スウェーデンでは分析に基づいた対応をしています。 https://t.co/n7bmPXtHGO
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月14日
どちらにしてもアメリカファースト的思考に見えます。あまり世界的視野は感じられません、素人目には。 https://t.co/wOYXOLHPPT
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月14日
同感。それと免疫力増進を心掛けることでしょうね。 https://t.co/oT0OEJDxtQ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月15日
小石川植物園にて ― 2020年10月下旬 ―
正門入口付近
クモがお出迎え
ソテツがあり、向こうにススキあり、植物園らしい。
本館。
風情があるけれどもいかにも古びた印象。
博物館ではないので関係者以外は立ち入り禁止。しかし立ち入ってみたい気を起こさせる玄関。ただここまで近づく入園者は他にいなかったが。それにしても古い。
この日の午後はやるべき作業がなかったわけでもないが、天気がよく明るいバラ園にでも行ってみたくなった。しかし準備不足でもあり、歩いて行ける小石川植物園に行くことにした。ここは多分20年以上も前に友人に誘われて初めて来たとき以来の訪問である。予想通りバラ園はなく、坂を上ってゆくと下のような標識が。
これがニュートンのリンゴの木。ニュートンが眺めていたリンゴの木で、世界各国の博物館などに分け与えられているそうである。
ケントの花という品種名らしい。
(今ではニュートンのリンゴの木が見られるといってそれほど有難く思うわけでも感激するわけでもないが、やはり、こういうものにはいまだに気持ちをそそられる。それは若い頃に抱いていた科学へのそこはかとない憧れの感情である。それは科学というよりもむしろ科学という言葉、概念に付帯する感情のようなものである。これについてはちょうどいま漱石の文学論を読み始めたことで認識を新たにさせられた。それによると、文学的印象は[F+f]からなり、Fは基本的な観念であり、fはそれに付着する情緒を意味するとのことである。確かにこれは、当を得た重要な着想であると思う。とすれば、科学も、文学でもありえるということになろう。純粋にFだけ、あるいはfだけということはあり得ないのだから)
この道の左側は樹木もまばらで明るく、あちこちに人々が集っている。一方、反対側は暗い森の印象である。
菩提樹が見られるとあって、明るい方は諦め、暗い森の方に進んでいった。
案内板にボダイジュ並木と書かれていたので、もしかしたらドイツなどで街路樹として有名なLindenbaumかと思ったのだが、並木の印象とは程遠く、このような無秩序に鬱蒼と茂った数本の大木の群生であった。
Tilia miqualiana Maximとあり、後でウィキペディアで調べてみるとこの日本語のボダイジュはアオイ科で、ドイツのLindenbaumとも、お釈迦様縁の菩提樹とも異なる科の樹木であることがわかる。ここでは無秩序に生い茂って木の姿も捉えられないが、それにしても見ごたえのある立派な大木であることに変わりはない。なによりも菩提樹、ボダイジュという名前ですべてが繋がっている。この名前は漢字でもカタカナでも字面がよく、発音も美しいので、ボダイジュは好きな木である。昔、小学校の遠足で大阪のどこかのお寺で見た記憶があるが、樹形としては楠のような印象を持っていた。ただここでは庭木としての手入れはされていないらしい。
紅葉はまだほとんど見られなかったが、なぜか1枚だけ色づいた葉がおちていた。
樹種は分からないが、地味な黄色と紫の紅葉がそれなりに美しい。
針葉樹の森
総合研究博物館小石川別館。
現役で使われているみたいだが、重要文化財。写真を拡大してみると、コンクリート造りのよう。玄関屋上のバルコニーの欄干には擬宝珠がある。
エンジュ
名前は分からないが、印象的な樹形。庭木のような剪定はしていないのだろう。
帰りは坂を上って茗荷谷駅前を通り、大型スーパーで買い物後、引き続き時間をかけて徒歩で帰宅。
Twitter投稿再録ー2020年10月1日~11月4日
7年ぶりの帰郷、加えて個人的新型コロナウィルス対策、マスク着用の履歴と考え方 https://t.co/Iw0VwZABYS ― ブログ『矢車SITE』を更新しました。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月2日
マスクは飛沫を飛ばさない効果があるが、ウィルスを防ぐ効果はないと言われる。まずこれを基準に、論理を組み立てるべき。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月2日
なぜか青いみかんの方が色も味も好ましい。 pic.twitter.com/ufufnZJeny
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月3日
トランプさんも仮病かも。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月3日
寒暖や湿度の変動が激しいこの時期、何よりもまず『普通の風邪』に気を付けたいものです。長年の個人的な経験上、普通の風邪でも相当深刻で長期に及ぶことも多かった。今の新型コロナの実態はよくわからないので素人には比べられないが。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月3日
昔からよく風邪を移すとか移されたとか話題になることも多かったが、具体的に症状のない人から移ったとか移したとかいう話は聞いたことがないし、専門家やマスコミで聞かされることもなかった。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月3日
結局のところ、疲れた時とか体力が低下したとか、低温で身体が異常に冷えたとか、そういうことが原因であったとしか考えられない。最近の考え方で考えると免疫力が低下した時だろう。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月3日
とすると、最近よく言われるように、免疫力の向上こそが、最高、最善の風邪対策に間違いないのだろう。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月3日
寒く乾燥した季節になれば喉の弱い私はマスクは着けると安心感が得られるときもあるし、免疫力向上にもつながるような気がする。しかし外の道路上では眼鏡の曇りが致命的なデメリットであり、危険であるためこれからも屋外では着けないことが多くなるだろう。自室内では加湿器!
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月3日
夏目漱石って英語の発音や聞き取り、会話についてあまり自分自身で書いていないし、他の人も彼のそういう能力について書いていない。それだけに漱石が発音や会話についてどう考えていたのか気になる。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月6日
変な論理ですね。そんなことよりマスクの効果をきちんと科学的に、論理的に調査すべきでしょう。 https://t.co/vOA606e5I5
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月7日
仮にPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査がまだ不十分であるとしても、そもそもPCR自体の説明も不十分なまま「感染者」と同一視されて「感染者数」だけが公表されている現状では、それがどういう意味があるのか、一般人としては疑問を持たざるを得ません。 https://t.co/ZyzS7s5TZS
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月8日
ブログを更新しました ― 日々と人生の宝物: 新型コロナ対策とマスク着用について、私の経験と考え https://t.co/0ZbSlBOmDs
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月8日
多くのジャーナリストはマスクの効果について自らの思考を停止している。PCRについても同じこと。温暖化CO2原因説の場合と同じ。 https://t.co/MZieWO1E5i
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月10日
デジタル通貨って分けのわからない名前だな。もともと通貨って数字で表すのだからデジタルは当たり前だし。名前では何も分からないものばかりが増えてくる。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月10日
新型コロナ対策でも最初の頃は手洗いと消毒が重視されていた筈だが、今はマスクばかりが強調される。米大統領選絡みの報道人やジャーナリストのせいだが、彼ら自身、どこまで手洗いや消毒を励行しているのやら。町の店舗でもマスクをしても手洗いはしない人は多い。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月10日
こういうこともありそうな気がします。 https://t.co/NpIYWZPpYN
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月10日
ブログ更新のお知らせ(再通知):「意味」の周辺: 略語、特にアクロニムの多用による重大な弊害について、「PCR検査」を例に考える https://t.co/z04oe2azfn ― 再通知で追記、更新はありません。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月10日
こういう構想って何時何処から始まったのだろう? https://t.co/AcjU6HwwD0
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月12日
「感染」を字義どおりに解釈すると「感じて染まる」ということになる。いろんな場合に使えそうだが、ウィルスについては具体的にどういうことなのだろう。素人の印象。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月12日
「感染」って具体的に、医学的にどういう意味なんでしょう? https://t.co/m1dc6rI3ru
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月12日
PCRのPとCとRって何のことなんでしょう? https://t.co/SQ29KqTnuQ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月12日
大阪都構想はまず住民投票をするかしないかの住民投票をすべき。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月12日
ブログを更新しました ― 日々と人生の宝物: 前回に続けて ― メディアの一部から垣間見えるマスク非着用デモンストレーションのサイン https://t.co/qX3EhDPr2I
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月14日
デジタル庁って、デジタルだけでは何をするのか意味不明。もっと何をするのかが分かるような名前にして貰わなければ困ります。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月16日
科学と科学者は別。もっと論理的に! https://t.co/LzXOPUJKP7
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月20日
マスクを着用しても手洗いを省略している人が多い。風邪の感染予防には手洗いが重要であることは以前から言われてきたことである。マスク着用と引換えに手洗いや免疫力UPの努力がおろそかになれば本末転倒でしょう。 https://t.co/ijBdhfpIzQ
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月21日
いまさらながら、PCRとは「Polimerase Cahin Reaction」の略で、日本語では「ポリメラーゼ連鎖反応」ということです。難しい言葉には違いはないが、新型コロナウィルスそのものではないことはだれにも判る。「PCR」では何も判りません。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月21日
極めて重要な問題ですね! https://t.co/KPRi4ibzUM
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月22日
昨日の夜、マスクの防御効果に関する東京大学の実験結果がWBSで伝えられたのを聞いた。その結果を簡単に言えば、飛沫に含まれるウィルスの透過率が総合的に50%前後になるというものであり、この数値は実際の感染可能性とは全く別物であることに注意すべきであると思う。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月23日
ブログを更新しました。タイトル: ウィルス感染対策としてのマスク(非)着用の論理 https://t.co/vpCOAP4ISh
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月23日
ブログを更新しました:ウィルス感染対策としてのマスク(非)着用の論理 https://t.co/vpCOAP4ISh
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月23日
小石川植物園の菩提樹 pic.twitter.com/UkizhzLzyI
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月24日
ブログ更新記事のお知らせ(10/23):ウィルス感染対策としてのマスク(非)着用の論理 https://t.co/vpCOAP4ISh
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月25日
ブログ『矢車SITE』を更新しました:小石川植物園にて ― 2020年10月下旬 ― https://t.co/TBimFsrPyr
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月26日
フランスに感染症学者は何人もいると思いますが。 https://t.co/nIWzMLOCec
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月27日
中国語で『デジタル』をどういうのか調べてみたら、『数字』であった。表意文字を使う中国語のメリットが典型的に表れている。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月28日
無関心と安心感は違うものです。日本でコロナへの関心が低下したのではなく、理解が深まってきた可能性も考えるべきでしょう。 https://t.co/CWu9bzrNFX
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月28日
いったいこれまでマスク着用を義務化したりロックダウンを厳しく行ってきた国で、それらを厳格に行わなかった国に比べて感染拡大をより大きく防止できた実績が示された事があるのだろうか? https://t.co/bynyLBdZqD
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月28日
ヨーロッパにも沢山の国がある。「感染拡大」しているのはマスク着用を義務化してきた国々のほうである。マスク着用義務化の効果が無かったことは明らか。何を参考にするかをよく考えるべき。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月29日
小石川植物園にて。 pic.twitter.com/C1wJBcBtwl
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月30日
夕方の散歩の途中で上野アメ横の飲み屋街を通ってきた。どこも屋内屋外席ともにすし詰めの満員であった。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年10月31日
そもそも「新型コロナ感染者」と「PCR検査陽性者」を区別することが先決問題。さらに「感染者」の定義もいまだに明確に説明されていない。 https://t.co/fVCf4suM5Y
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月1日
「新型コロナウィルスが存在するかしないか」という問題と「三密防止」とか「マスク着用」などの対策が正しいか?意味があるか?という問題は別に考えないといけませんね。 https://t.co/QDdMM5maO1
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月1日
テレ朝モーニングショーを見ている。寒さによる要因が言われているが、寒さによる抵抗力ないし免疫力低下の視点が欠けている。例えば室温低下を犠牲にしてまで過度に換気をすることが良いことなのか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
感染者、陽性者、陽性率などの言葉が使われているが、論理的に使い分けられていない。感染者と陽性者はどこが違うのか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
ヨーロッパを一括りにして議論してはいけない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
マスクの効果についてもただ検証されているというのではなく、もっと具体的な論拠を総合的にきちんと分析して説明すべきである。正しい分析と総合的考察がされていない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
個人的経験では、風邪は寒さや疲れやストレスなどで抵抗力が低下した時にかかる。これは免疫力と言ってよいと思う。新型コロナも同じだろう。こういう視点をもっと重視すべき。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
マスクにいったん付着したウィルスを後から吸い込むことはないのだろうか?手でマスクを触って手に付着することは言うまでもない。マスクに蓄積されると、換気で排出されることはないので、むしろ厄介ではないのか?聞いたところの実験ではそこまで考慮されていない。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
ウィルスと言う目に見えないものに対処するには目に見えるものにばかり気を取られていてはそこで思考停止となる。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
「目に見えるもの」と似ているのが「一つの言葉で簡単に表現できるもの」である。「マスク」は両方に該当する。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
当初、マスクは医療用のものでないとウィルス防止の効果がないことがマスコミでも伝えられていた。今はそれもマスコミで議論に上ることもなくなり、目障りなファッションアイテムにされてしまった感もある。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
ウィルス自体も感染症のメカニズムも目に見えないし、簡単な言葉で探求も理解も表現もできない難しいものである。マスクに頼るのは安直なごまかしそのもの。
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
作品とは関係ないコメントで恐縮ですが、ヨーロッパを一括りにして言及しない方が良いと思います。 https://t.co/U4qajTc3Fs
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月3日
新型コロナ対策として現在行われている方向性と議論の多くに欠落している2つの要素:1.論理性。2.単にウィルスの侵入のみではない全体的な個人の身体保護の観点が欠けていること。例えば寒さを我慢してまで過剰な換気を要求することなどおかしいのではないか?
— J. Tanaka (@yakuruma) 2020年11月4日
7年ぶりの帰郷、加えて個人的新型コロナウィルス対策、マスク着用の履歴と考え方
前回、2013年の春に帰省してから7年余り過ぎ去った今年の九月、19日の午後から三日間をかけて帰省した。前回はこのブログを始めてまだ間がなかったが、ちょうど携帯電話のカメラ性能が向上してきた頃であり、今回と同様に数日の期間であったが、大阪と和歌山で多少の縁のある場所の写真を夢中になって撮りまくり、本ブログの過去記事として掲載している。今はスマホになり、写真画質も向上したが、この7年間の間はちょうどスマホが世界中に普及するまでの時期と重なっていたことは1つの感慨ではある。今回は所用以外に出かける予定はなかったが、やはりせっかくの長距離移動でどこにも行かないのはもったいなく思い前回と同様、京都で新幹線を降り、今まで近くを通ったことは何度もあったが参拝はしたことのなかった八坂神社に参拝した後(前回は時間があったので銀閣寺や六波羅蜜寺など、殆ど脚だけで相当な距離を歩き回ったものである)、京阪電車経由で夜、大阪府内の目的地に到着した。(実際にはこの間もう一度葬儀のために帰郷しているが日帰りであった)
参拝の後、本殿の周囲を少し歩いていたら、上の写真のような社があり、何か馬に縁がありそうな名前で「健脚祈願」と書かれていた。何かと脚の健康が周囲で話題になる年齢にさしかかった現在、「健脚祈願」とは見過ごせないので、扉につけられたお賽銭投入口からお賽銭を投入して参拝をした。改めて確認してみるとここは「神馬舎」であり、神馬とは神が騎乗する馬の事であって、神様が祀られているわけではないようだ。それはともかく、今与えられているまずまずの健脚を、死ぬまで維持できることを祈願した。
東山方面では丸山公園あたりや清水寺には一度ならず来たことがあり、八坂神社の鳥居や山門も記憶にあるが、神社の境内や祇園の街並みに足を踏み入れたのはこの日が初めてだった。確かに美しい街並みだけれどもこういう街並みの美しさはどこからきているのかなど、やはり率直に楽しむのではなくて、考えてしまう。
通りを歩き切ると南禅寺であった。ここはかつて、別の方向から足を踏み入れた程度の記憶はある
ただし、今回も時間が遅いため同様に少し足を踏み入れただけに終わる。
今回、大阪府内に滞在中の風景写真はなし。
東京に戻った後、一昨夕の不忍池。中秋満月の前前夜。
新型コロナ対策とマスク着用について、私の経験と考え
【これまでの体験】
さて、今回の帰郷でも所用以外で気になっていたことや考え続けたことは、言うまでもなく、新型コロナ騒動の事であった。何しろ道程中の殆どを四六時中、殆どがマスクをした群衆の中を通り抜けなければならないのだから。新型コロナ対策では、いまや個人的には全く心配していないのだが、こういう外出や旅行、さらに人に会うことで問題になることは、まずマスク着用の問題である。そこでマスク着用の問題について個人的な履歴と考えについてまとめておこうかと思う。
昨年暮れから今年にかけての冬の間、この問題がニュースに登場し始めた頃、私はやはり新型コロナ感染をおそれて、最初はよく行く上野方面に出かけることも避け、マスクも着用したかったのだが、あいにくすでに、どこに行ってもマスクは買えなかった。でもマスクでウィルス感染は防げないとは、昔からよく言われていたことなので、そんなに極端に恐れてインターネット経由で高額で入手しようとまでは思わず、マスクなしで外を歩いていたが、当時はすでに外を歩く人々の大半はマスクを着用していたので困りながら歩いていた。やがて、置き薬の箱に花粉症用のマスクが三枚入りの袋で入っていたことに気が付き、外出するときには着用するようになった。
もともと私は風邪をひきやすい方で、かつては毎年のように相当ひどい風邪を引いていたが、数年、四五年前になるかな、インターネット上の多用なサイトから得られる知識のおかげもあり(もちろんそれだけではないが)、もっぱら免疫力を高めることの重要さに目覚め、それまで無精でで週に一回程度であった入浴も毎日欠かさないようになって今に至っている。また、慢性鼻炎で鼻が詰まりやすく口呼吸をすることが多いせいか、扁桃腺から風邪を引きやすく、冬には加湿器を使うようになり、それ以来、重度の風邪を引かなくなったように思う。特に冬の加湿器の効果は大きいと感じられる。ちなみに風邪は専門家にもいまだによくわかっていないと言われるが、それは最もだと思う。個人によって、また年齢においても、症状にも個性があるように思われる。私の場合は大抵は扁桃腺の痛みから始まり、やがていつも同じような場所に蕁麻疹が生じて、腸の調子が悪くなり、下痢症状を引き起こすパターンが多い。ひどいときは筋肉痛や頭痛が起きる。ただ、上記のような免疫力対策を功を奏したのか、ここ数年間、寝込むほど症状が悪化することはなくなった。免疫力と言うものは未だに専門的にもよく分かっていないと言われるが、それはそうだろうと思う。また多様な風邪の症状にしても、お医者様にも本当のところはどれだけわかっているのか、結構怪しまれる。これまで医師の診断を受けた経験上、お医者様には申し訳ないが、そう思わざるを得ない。そんなわけで、新型コロナの症状にしても診断にしても、専門医自体がどこまでわかっているのやら、失礼ながら心もとない気がするのである。
そんなわけで、マスクをした場合には喉の乾燥と体温の低下防止に結構効果があるので、乾燥した寒いときにマスクを着用すると身体が守られているような安心感が得られ、寒いときにマスクを着用すのは嫌いではなかった。
しかし同時に私はかなり強い近視で、メガネなしで外を歩くのはやはり怖いのだが、マスクをすると見事にメガネが曇り、十分に危険なほどである。そういうわけで、室内ならいいのだが、交通量の多い外で、特に雨の日などはマスクをするのは危険と言っても間違いではなく、最初の頃からこの危険は風邪感染の危険よりは大きいのではないかと思っていた。そういうわけで、マスク着用を強く要請する向きには最初の、まだ寒い頃からかなりの不信感と反感を抱いていたことは確かである。
その後例によって猛暑を迎え、今や秋半ばにさしかかっているが、この間、行政側やジャーナリズム、インターネットの各種サイトを通して、様々な情報をえることができた今、マスク着用については次のような考えを持って対処してきた。
寒い間は外出時にマスクをしていたが、やはりメガネが曇ってくると外さざるを得なかった。
暖かく、さらに暑い時期が始まると外ではマスクを完全に着けないようになったが、店舗内に入ったり電車に乗ったりするするときだけ、胸ポケットに入れていた薄いマスクを着けるようにしていた。
この頃になると、街中を歩くときは完全にマスクを着用しなくなっていた。私の場合、出かけるのは大抵は夕方で4時半過ぎから5時半ころまでで、買い物であっても散歩を兼ねるものだから、外出時間は3時間に及ぶことがある。その時間帯の話になるが、一向にマスク着用者の数が減らないものだから、いらいらし、歩いている人たちに反感を感じるようにさえなってしまった。マスクの大きさや形状や色によっては不気味で気持ちが悪くなる場合さえある。しかし、日によって違うが、私が歩く範囲内では平均して1割程度の人たちがマスクなしで歩いていたような印象がある。年齢と性別、また風采や人相はあまり関係がないように思う。
以上のような中で先般、関西の方に帰郷してまた戻ってきたわけだが、この間、東京駅や新幹線の中などではマスク着用率は、近隣で体験していたよりは高かったことは確実である。非着用者は恐らく1パーセント以下だろう。
地元では滞在期間がわずかであったのでよくわからなかったが、東京の地元とはそう変わらない印象である。ただ、いわゆる「おっさん層」で非着用率が東京よりも高かったような印象がある。東京でもこの層では私を含め、比較的、非着用率が高く見えることは確かである。大阪の地元では近くに広い公園があるが、毎日のように公園に行くらしい姉の話では、その日の昼間、公園内ではだれもマスクをしていなかった、とのことであった。以前に一度電話で話した時に比べてかなり変化があるようだった。
ごく最近になって、私としては一つの決心をして、まず地下鉄に乗る時(最近は日常的に乗ることは少なくなったが)にマスクをしないようになり、つい最近に至ってはスーパーやコンビニでもマスクをしないようになった。ちょうど大阪からこちらに戻ったときから、地下鉄の構内放送ではマスク着用要請をアナウンスしなくなったように思う。もちろん、しょっちゅう乗っているわけではないので他の場合は分からない。一方、この一週間内に訪れた、近所にある2つのスーパーでは、マスク着用を要請する構内放送の内容が婉曲的になり、音量、頻度などが小さく、少なくなってきたように思う。これは行政側の変化の表れではないか、と思うのは考え過ぎだろうか?毎夕テレビニュースに現れる都知事の談話やその他のテレビニュースなどでは相変わらずのように思えるが。
例えば以前ある有名ドラッグストアに入ったとき、超有名店であるにも関わらず消毒用のアルコール瓶がごく小さく目立たないところに置いてあるうえ、空っぽだった記憶がある。マスクよりも消毒の方が、どちらかと言えばはっきりした効果があると思っていたので、少々腹が立ったのだが、今になってみるとそういういい加減さにむしろ好感を持つようになった。あまりマスク着用を厳しく要請するステッカーも目立たなかったし、こちらがマスク着用をしなくても店員の態度は全く変わらないし。
【私の考察と結論】
まず、新型コロナウィルス感染の実態とマスク着用の是非の問題は分けて考えるべきである。新型コロナウィルス感染状況の実態については素人でもあり、個人的に発言できるとしても、いまこのような形で総合的に判断することはできもしないし、したいとは思わない。しかしマスク着用の是非という問題については、に個人的に明確にしておきたいし、理解されることを望むからである。
- 【スウェーデンの結果で十分】総合的な判断として、マスク着用を国民全体に要請することで新型コロナウィルス感染拡大防止効果がないことは、もうスウェーデンの経験との比較から明らかになっており、それでもう十分であると言える。これはマスク着用と三蜜の両方について言える。スウェーデンでも公表される「感染者数」が完全に抑えられたわけではないにしても、マスク着用とロックダウンを実施している他のヨーロッパ諸国を顕著に上回ることはなかった。それで十分である。少なくとも一般人向けにマスク着用と三蜜の要請には、今回の新型コロナウィルスの感染拡大対策としては不要である。
- 個人的判断のレベルでは、常にメリットとデメリットの両方を考慮する必要がある。私の場合は気道の水分と体温維持の点で冬季には気分的にはかなりメリットを感じるが、屋外ではメガネが曇るというデメリットは非常に大きく、危険な場合さえある。気温が低くなくてもメガネが曇る時は多い。夏季には冬季に感じるメリットは全くなく、事実上はデメリットばかりである。
- 一般的なレベルでは、マスクを着けた人の口や鼻から出る飛沫を飛ばさないことがメリットであるという考えが定着している。ただこれは、普通の健康な人が飛ばす飛沫にどれだけの危険性があるかという問題が不問に付されているので、不明な点が多い。デメリットとして言われていることは、暑い季節にマスクを着けることによる不快感で体力や免疫力が低下すると言われる問題である。重要なことは、こういった体力や免疫力の低下は、単に新型コロナウィルスの感染症だけではなく、あらゆる病気と健康に関わるという点である。この問題については、健常者が飛ばす飛沫にどれだけの危険性確率があるかという問題に帰着する。その点での専門家による考察はあるはずであるが、大勢はそこまで考えない。マスクの飛沫拡散防止効果という時点で思考が停止しているのである。
- 社会的レベル、というと抽象的になるので、人間関係のレベルと言えばよいだろうか。このレベルで考える場合、マスクは自分が感染しないために着けるのか、相手に感染させないために着けるのかという、心理的に微妙な問題が関係してくる。実際のところどちらにも意味がないということを両者が確信している場合、それがお互いにわかっている場合は何の問題もなく、周囲への対応の問題だけとなる。しかし現実にはそうではない場合が多い。一般的によく言われているように、マスクで自分の感染は防げないが、自分が感染している場合に飛沫を飛ばさずに相手を守ることができる、という考えが正しいかまたは信じている場合。その目的で着けているつもりでも、本心では自分が相手に感染させられることを恐れている場合もあるだろうし、誰でもそういう立場や心持ちはコロコロと変わる。こういう場合、相手が新型コロナウィルス感染を恐れていることがわかれば、議論は避けてマスクを着用するのが順当というものだろう。しかし、それで終われば後は永遠の平行線である。マスクのデメリットは他にもある。人々の心理的距離を分断するということだ。その分断が維持される。感染健常者のマスク着用に意味がないことを信じている立場からすれば、相手との心理的距離を近づけるためにも、努力をして相手を説得したいと思うだろう。一般に説得というものは容易ではない。どちらにも不純な気持ちが入り込む。その先はここで論議しても仕方がない。
以上までの内容を昨日の夕方までに書き込んだ後、買い物を兼ねた散歩で外出したところ、マスクを着用していない人の割合は、一昨日に比べて圧倒的に減少していた。一昨日は10パーセント程度に思えたが、昨日は1パーセントにも満たないだろうと思われた。がっかりしながら歩いていたのだけれども、後から考えるとこれは時間帯によるところが大きいことに気が付いた。一昨日に外出したのは3時半だったが、昨日は5時半であった。通勤者の帰宅時間であったことを考えると納得がゆく。食品スーパーの中も同じ。
とはいえ、以前と同様、対向する歩行者に避けられたり、あるいは電車内、スーパーなど店舗の入口や中で警告されたような経験は私の過ごしてきた環境では殆どなかった。ちなみに食品スーパーのようなところではマスクを着けずに入っても手のアルコール消毒は、瓶が見つかればできるだけするようにしている。現実にはマスクを着用しても手の消毒をしない人の方が多い。
これから気温が下がってゆき、マスクを着用してもそれほど苦痛ではなくなるだろうから、個人的に寒さに弱く、また耳鼻咽喉系が弱い私としては、マスクを着用した方が良いと思われるような機会も出てくるかと思う。しかしメガネが曇ることは依然として非常に大きなデメリットであることを超え、危険性というべきである。この問題についてはマスコミで取り上げられなかったわけでもないが、重要性が全く強調されていない。という次第で、私の場合はこれからも原則的にマスク非着用を続けそうである。
2020年8月半ばの更新 ― 写真集とブログ更新のお知らせ
前回の更新記事は6月で、本ブログの完全移転のお知らせのみでした。前回の実質更新はまだお正月の頃だったから、実にあれから7か月以上。その間、言うまでもなくコロナ騒ぎと言う、文字通りの大騒ぎが発生し、当然私も巻き込まれました。まあとりあえず写真を新しいものから・・
上は最新の写真。いつものとおり夕方で、この日は夕映えが印象的でしたが、この時も遠くに一艘の白いスワンボートが見えました。下はその数日前の同じような時刻でしたが・・
このような不忍池の写真はしょっちゅう撮っているので、カラフルなスワンボートも良く写り込んでいますが、この日はなぜか白いスワンボートを撮りたいと思っていて、ちょうどこのような白いスワンボートが現れました。その時は白鳥らしい横向きの写真が撮れないかなと期待していたのですが、遅い時間で乗り場に帰るところなのか、ついに向きを変えることはありませんでした。後からこの写真を眺めていると、なぜかトゥオネラの白鳥を思いだしました。というのは、白いスワンを撮りたいと思ったのは、この7月に、私と同世代、実は一年足らず年上の知り合いの方が亡くなったことと関係があったことに気づきました。私の恩人の一人でした。長年にわたっていくつもの難病を抱えながら、仕事も含めて普通の生活を続けてこられた方でしたが、やや突然死のような状況であったそうです。とはいえ、一応は入院中に亡くなったとの事であったそうですが、このコロナ騒ぎの時期真っただ中で、ご遺族はつらい思いをされたようです。という訳で、今はどうしてもこのスワンボートの後姿が、その人に重なってしまいます。この写真のスワンボートのように、ごく自然に、穏やかに向こうの世界に旅立って行かれたに違いないと思っています。
これらは少し以前に撮ったもの。くつろいでいるような停泊中のカラフルなスワンボート達が涼し気で、なかなか美しい光景と思います。
木造のボート乗り場もなかなか風情のある建物です。
この日は土曜日で、時間もやや早かったせいか、カラフルなスワンがまだ沢山。
ハス池の写真はtwitterに投稿したところ、珍しくリツイートしてくれた方がありました。ちょうど最近始めたラインを通じて大阪の姉達に送信したところ、涼しげでコロナ騒ぎなど忘れてしまいそう、と好評でした。とにかく大阪はこちら以上に暑いですからね。
実は3月末頃から4月にかけて立て続けに近くの三つの有名神社でおみくじを買ったのです。大人になってから自分でおみくじを買ったのはこの年になって初めてでした。いかなる風の吹き回しか?
三つの神社で随分とそれぞれの個性が現れています。湯島天神では詩的で風情があり、神田明神では七福神らしくサービス精神が感じられ、根津神社では赤い色が使われず厳格で厳しい感じ。個人的には距離的にも近い湯島天神にもっとも親しみを感じますが。
最近のブログ更新について
- 最初、当サイトでの本ブログは以前FC2ブログサイトで公開していた同名ブログの本年更新分からのみで、以前の更新は前のサイトに残されていましたが、前回の更新から、すべてのコンテンツをこちらのサイトに移転しました。一方、2007年以来、本ブログと同じはてなのブログサイトで更新を続けてきた『発見の発見』を、すべてFC2ブログサイトの方に移転しました。結果的にFC2ブログサイトの方は中身が入れ替わった形ですが、元の『発見の発見』は、昨年の更新分までは元のサイトに残していますので、一部重複する形になっています。
- 別ブログの『発見の発見』は7月30日、『意味の周辺』は8月14日に最終更新を行っています。この2つのブログは、私が鏡像問題に取り組み始めて以来、互いに他方を転載したり、シリーズ記事の更新を他方に移転したり、ある意味内容が近づいてきましたので、一つに統合してもよさそうなんですが、やはり人は同時進行的に区別できることを考えるもので、同じ一つのテーマであってさえ、異なる二つの道筋で考察を進めることにも、大きな意味があるように思います。
- 他にもブログを始めた初期のころから二つほどブログを書いていて、美術工芸とか発明に関わるようなことを、今も時おり更新しています。ただ当方の人生もこの期に及んで、これらの方向はいずれ立ち消えて行くことになりそうです。