白洲正子自伝の読了、英語のことなど
近所の書店に常設の、特定作家の文庫本ばかりを集めた、小さな目立たないコーナーがあり、しばらく前からは白洲正子の特集となって続いている。そこで「白洲正子自伝」一冊を購入して、おととい読み終わった。
読み始めた時点で、なぜこの本を購入して読む気になったか、その経緯について書こうと思い、書き始めたが、その時はまだ納期のある仕事の最中でもあり、また書き出すと簡単に収集がつかないものになりそうなので中断し、そうこうしているうちに当面の仕事が終わり、おとといの昼間には他の仕事に手を付けることもなくこの本を終日読み続けて読了してしまった。
書きかけた記事はもう書き続けるのが面倒になってしまった。
今日は、何気なく、この本に書かれている鶴川という土地にある著者の旧宅がどのようなものなのかと思い、ネットで検索してみたら、「旧白洲邸・武相荘」という記念館になっていてホームページも公開されていることが分かった。そういえばテレビ番組か何かでこういうものができていることを聞いたことがあるような記憶もある。
かなり充実したホームページで、新潮文庫版の自伝には出ていないかなり詳しい年賦も、白洲次郎のそれと合わせて掲載されている。
年賦を見て改めて分かったが、私の母親とだいたい同じ年代である。母親ではなく祖母と同年代と言いたいところだが、残念ながらそういう次第で、だいたい私には祖母とか祖父とかいう存在にはまったく縁がない。
いずれにせよ、当たり前の話、境遇にしても、資質にしても私どもとはまったく異なるが、それなりに何らかの意味でいくつもの接点があり、この自伝本は最初から最後まで興味深く読むことができた。
英語についても何か所かで興味深い記述がみられる。例えば次のような箇所がある。14歳でアメリカに留学した時、「二、三か月で字引は要らなくなり、半年で日本語を忘れてしまった。」「忘れたといっても、それは話し言葉だけで、読み書きは完全に覚えていた。言葉とはそうしたものである。」
私が仕事でお付き合いいただいているある方にあるとき伺った話だが、そのお父上が日英のバイリンガルで、あるとき事故のけががきっかけで、一時的に日本語だけが話せなくなったそうである。ただし聞き取ることはできたそうである。その時は聞かなかったが、おそらく読み書きも大丈夫であったのだろうと思われる。
そういえばこの自伝にも似た話があって、著者の父親、樺山愛輔が臨終の間際に英語しか話さなくなったという話もあった。
こういう話は例の脳科学との絡みでよく聞く話だが、やはり興味深いものがある。
もっとも現在となっては、この種の話はざらにあるのだろうし、その現れ方も人それぞれ、さまざまだろう。ただ、「言葉とはそうしたものである」という言い方は無責任なようでもあるが、結構重みのある結論ともいえる。
―― 以上、今日の断片的つぶやき