遊びと怠惰について掘り下げてみたい
先日、ふとした機会に昨年の「レコード芸術」誌で音楽評論家の吉田秀和氏の業績を特集をしている号を手にし、氏へのロングインタビューを読み出したら面白くて、かなりの長時間をかけて読んでしまった。
そのなかに次のような面白い内容が話されていた。
『
(白石) 中原昼也や吉田一穂らとの交流はどのようなものだったのですか。
(吉田) 交流というより、行ってただ大人の話を聞いていたんですね。でも、中原にはある時期からあまり会わないようにしていました。少し生活が違いすぎたからね。中原はもう純粋な詩人で、詩を書いている時の他はもう何をしていいかわからない人間なんです。だから、マージャンなんかして時間をつぶしている。ああいう人たちは生きるのが楽じゃないよ。・・・中略・・・学生の頃の僕は、そういう人たちをじっと見ていました。そして学びました。「言葉」というものはこういうふうにして使うのかと。そんなふうにしているうちに戦争が始まりました。
』
『中原はもう純粋な詩人で、詩を書いている時の他はもう何をしていいかわからない人間なんです。だから、マージャンなんかして時間をつぶしている。ああいう人たちは生きるのが楽じゃないよ。』という個所が特に興味深いが、ここには客観的な観察内容と氏の解釈の2つが含まれている。解釈というのは『詩を書いているときの他はもう何をしていいのかわからない』というところで、これは氏が中原中也になった訳でも聞いた訳でもないのだから解釈といっていいだろうと思う。しかしかなりの真相が含まれているようにも思える。
詩人にもいろいろなタイプがあるが、宮沢賢治の生活など、この対極にあるように見える。仕事を含め、絶えず何らかの活動をしていた。社会活動ともいえるだろうし、ある時には企業活動といえる活動もしていたらしい。もちろん教師として就職していた時期もあった。しかし結局は生涯を通した職にはつかなかった。続けられなかったとも言える。この場合も「何をしていいかわからない」と紙一重であると言えるかも知れない。
こんなことを書いている筆者自身、「何をしていいかわからない」人生だったと言えないこともない。偉大な、あるいは優れた詩人たちのように高尚な理由というよりも多分に単なる怠惰であったかも知れないが、詩人たちの場合も怠惰と呼べないわけでもないだろうと思う。
「怠惰」の意味論、あるいは「怠惰の構造」、つまり「怠惰とは何か」といったことをいくらか本格的に考えてみたいと思っている。「遊び」のほうは盛んに論じられているようだが・・。その時はブログ「意味の周辺」で。