矢車SITE ― 改訂2022年11月

写真を主とした本人の日記代わりのようなブログで、つぶやきのようなものですが、 当人の別ブログ記事の更新紹介も行っています。

いったん別のサイトに移転した本ブログのメイン記事を本サイトに戻しました。部分的にTwitter投稿を一定期間を区切って掲載したものが含まれます。

最近の乱読で思い出した風景

この二か月間ほど、夕方になって時間のあるときには近くの図書館で一時間ほど古代史関係の本を読んでいた。その時まで読んでいた本が貸し出されたのか、姿を消していたので別の本を読みかけたり、といった調子で、現在読みかけの本が二冊ある。今日、しばらくぶりに図書館に寄ってみると、その二冊が共に姿を消している。借りてしまえばこういうことはないが、そうなると外出する機会が減りそうだ。

昼間に仕事がある時でも多少余裕のある時は、今は古書で購入した太田文平著『寺田寅彦』を休み休み読んでいる。読み進むにつれて寺田寅彦への親近感と関心が深まってくる。古書であるため、書き込みはなかったが、鉛筆や赤鉛筆で傍線が引かれてあり、熱心な読み手であったことがわかる。ご本人が亡くなったことで古書となったのだろうか。

夜は、というより夜中、殆ど寝る間際になって、だいたい毎日二冊の本を少しずつ、読んでいた。殆どわずか二ページという日も多かった。もう読み終わったが、書名を挙げるとその一冊は西沢美仁編著『西行 魂の旅路』で、正直なところ結構読みづらかった。全部で60首の短歌についてそれぞれの散文による現代語訳と数ページの解説が付けられているわけだが、現代語訳があまりにも散文的で、どうしても興ざめになり、解説文も読みやすいとはいえなかった。もっともこれは当方の知識不足によるものだろう。ただ、読了した後であらためて序文を読んでみると、「西行という文化を読み解いてほしい、という願いを込めて書いたものである」と書かれていた。これはこれでなるほど、と思うところがある。「西行」は文化だったのだ。そう考えるとまた読みなおしてみることもあるかもしれない。しかし当面、同じ『西行』でも別の『西行』を読んでみたいものだ。

途中まで並行して読んでいたもう一冊は、白洲正子著、『隠れ里』。予想される通り、こちらのほうが文章としては断然面白い。恐らく外面的にというか、形式面だけであるにしても司馬遼太郎の『街道をゆく』に似ているように思われた。歴史を含んだ紀行文ということでどうしても形式的には似てしまうというところがあるのだろうが。

この本で取り上げられている土地はいずれも奈良と京都の周辺や隙間に当たる各所だが、その中で「丹生都比売神社」と「葛城のあたり」は、当方にとっても何らかの縁がある。丹生都比売神社のある天野盆地は、我が母方の先祖の土地ということで昔から一度行ってみたいと思うこともある土地だったが、ちょうど今年の春に帰省した折に初めてて行って見たところである。

もう一方の「葛城のあたり」というのは具体的に今の御所市にあたり、この地にはそれ程縁があるというわけではなく、改めて思い出してみると小学校の遠足で橿原神宮に一度行ったきりなのだが、背景となっている葛城山金剛山には一度ならず登ったことがあるし、この地方の山々は小中学校時代の遠足やハイキングコースとして定番の土地であったし、それ以外にもある程度馴染みの土地であった。ただいずれも葛城山金剛山の西側、大阪側であって、奈良県側ではなかった。中学校時代の先生が授業中だったか、金剛山の登山道の説明で「このこの道を反対方向に行けば御所にゆく、あるいはこういけば五条に行く」といった説明をしてくれた時の言葉が何故か記憶から消えず、なんの理由もないのに思い出されるのも不思議な気がする。そのときは御所市も五条市も知らなかったし、遠足で行ったはずの橿原神宮が御所市であったことも知らなかった、

こういう場所なので、白洲さんがこの本でこの地への強い思い入れを語り、その美しさを褒め称えるのを読んで悪い気はしない。ただ、当時の私はその辺りの風景や土地柄にそれ程引かれていたわけではなかった。山の風景は好きであったし、山にハイキングに行ったりするのも好きだったが、特に小学校時代の遠足や耐寒訓練とか林間学校とか称する、いわばハイキングでそういった地方を歩かされたときなど、気に入らなかったこともあって、それは目に入ってくる山や森の殆どが杉林であったことだった。山間の道を足の疲れを我慢しながら歩くとき、杉林や杉山の単調でやや暗い色調の風景ばかりが次々と現れるのが当時の私には不満だった。杉林やその他の針葉樹の森も、その中に入ってしまえば確かにどことなく森厳な雰囲気がある。そういう雰囲気もある程度は判らないでもなかったが、やはり子供には広葉樹の風景が好まれるのではないだろうか。あるいはそういう杉林はすべて人工林であることから来る単調さだったのだろうか。そういう人工林は特に大阪側に多く、奈良県側はもっと違っていたのだろうか。いずれにしても山地に行くのは限られた機会だったし、自宅は海岸近くであったので山にはあこがれがあった。ただ関東平野のようには広くない大阪平野からは、どこからでも遠くの青い山脈を見ることは可能であった。

そういう次第だったので二十歳過ぎから数年間、山口市に住むことになったことは、それまでに知らなかった自然に目覚める思いだった。そこでは年中、四六時中、間近に山々を見ることができたが、圧倒的に杉林が多かった大阪府の山間とはかなり異なった印象を持った。特に初夏から真夏にかけて広い川べりを歩いたり自転車で行きながら対岸の向こうに見える山並みを眺めると、やや青くかすんだ空気の層を通して、明るい緑の諧調がオパールのファイヤのような感じで煌めいているように見えた。そういう美しさは経験したことがなく、この地方独特のものかとも思ったが、四季を通じて間近に山々が見える土地で生活したのは初めてであったことが大きかったのだろうし、当時の個人的で精神的な条件によるものでもあったのだろう。

こういった次第で、『隠れ里』やこれ以前に読んだ白洲さんの本に影響され、改めて故郷に近い山地を見直してみたいという気もあり、今年の春に帰省した折に天野盆地などを訪れて歩いてみた。このとき、縁者の一人に聞いて初めて知ったことは、母方の父祖の家は明治のころは林業をやっていたということだった。あの杉や檜の人工林の一翼を担っていたわけであった。もちろん杉の人工林は全国的なものだが、やはり関東や関西の大都市近くの山林に多いのではないだろうか。たとえばまだ行ったことのない東北地方はどうなのだろうかと興味がある。

いまは『隠れ里』にあったそのほかの土地々々、すなわち吉野や熊野地方と滋賀県地方や京都周辺にも行ってみたいという気持ちと、反対に東北や北海道に行ってみたいという気持ちとがある。九州であるなら史跡、古代史跡を訪れてみたい。