矢車SITE ― 改訂2022年11月

写真を主とした本人の日記代わりのようなブログで、つぶやきのようなものですが、 当人の別ブログ記事の更新紹介も行っています。

いったん別のサイトに移転した本ブログのメイン記事を本サイトに戻しました。部分的にTwitter投稿を一定期間を区切って掲載したものが含まれます。

「自然界における左と右」―区立図書館にて―とりあえずメモ

しばらく前、よく行く近所の書店の狭い科学書コーナーに、「自然界における左と右」という本が棚に並んでいるのに気がついた。この書名はよく記憶に残っていた。というのはもうかなり昔、多分20年以上になると思うが、当時購読していた朝日新聞でこの本の書評を読んで以来、ずっと記憶から消えずにいたのである。それでも買うことはなかったのだが、それが再刊されたのだ。数年前から鏡像問題に関心を寄せるようになり、かなり深入りしているともいえる現在、この書名を思い出すこともしばしばだった。手に取ってみると、著者名はガードナーという人で、この名前を見て更にハタと思い当たることがあった。というのも鏡像問題関連の文献に必ず出てくるGardnerの著作はこの本のことであったのかと、初めて気づいた次第なのだ。さらに翻訳者が著名な地球物理学者でもある。こうなればもう、買わないわけにはゆかないか、と思ったのだが、しかし三千円を超える高価な本である。書評を読んだときはこんなに大部で高価な本であるとは思っても見なかったのだが。そういう次第で買わずに時々その書店に立ち寄った際に眺める事はあったのだが、近くの図書館にないだろうか?と数日前に、しばらくぶりに行ってみたが、そこの書架にはなかった。

今日、予定していた仕事量が予想よりも早めに終わったので、この本が都や区の図書館にあるかをネットで検索してみた。都立図書館は遠いし、手順が面倒。今は千代田区に移管された日比谷の図書館にあったが貸し出し中、しかし区の、歩いて行ける距離にある某図書館で閲覧可能状態にあることが分かる。こうしてネットで調べてゆくのは初めてだが、便利になったものである。そこで夕方5時ごろから歩いて出かけて行った。確かにその本はあり、1時間程をかけて最初の三つの章を読んでみた。この第三章の終わりに鏡像問題についての結論が書かれている。

この結論、一言で言って間違いとは言えないと思う。しかし、緻密な考察とは言えず、包括的でもない。また概念が十分に明確指されていない。やや大ざっぱで論理に飛躍というか隙間がある。それはおそらく著者にしてみるとこの問題があまりにも日常的で発展性のない問題に思われ、同じ「自然界における左と右」の問題としてももっと宇宙論理論物理学、化学や生物学の理論的な問題にも関わる難しい問題にくらべて取るに足らない問題と考えていたせいであろうと思われる。

これは著者がこの問題を認識論の問題として、また心理学の問題として深く考えようとしていなかったからではないかと思えるのだがどうだろうか?この問題を深く考えたところで物理学や化学や生物学など、主要な現在の自然科学分野の問題、研究に貢献するところはないと考えていたからではないかと思えるのである。しかし、著者がこの問題を言語の意味との関連で考察していたのはさすがと思わせる。言語的意味と深く関わるのであれば、なぜそこをさらに深めようとはしなかったのであろうかとも思う。そのあたりに大ざっぱさと不徹底さが潜んでいるように思われる。

最初の30ページほどだけの感想だが、この種のサイエンスライターと呼ばれる人たち特有のくせも多い本である。というのは何かと擬人的な説明を必要以上に使っているのがどうも気に入らない。たとえば一次元の生物とか、二次元の生物を想定して、彼らが鏡を見てどう認識するか、といったような説明が多いのだが、何もことさらそのような擬人化をせずとももっと端的でわかりやすい説明がいくらでもあると思えるのである。

とはいえ、基本的に興味深く優れた本であると思うので、いずれ借り出して全部を読みたいと思っている。

それにしてもなぜ、この興味深い本を買うことにこう躊躇し続けるのだろうかと思う。高価な本だが、これ程の価格の本を買う習慣がなかったわけではない。本ではこれまでも結構、ムダ遣いもしている。つまらない本を二三冊買うことを思えば何のこともないのだけれども、どうも近頃の気分的なものからきているようだ、この時代的気分、不景気で気が滅入りがちな状況に加えて個人的に年を重ねてしまったことももちろん関係している。すでに書いてしまったように、最初に書評を読んでからもう20年以上も経っているのである。しかし何と言ってもやはり、もう嵩張るものはあまり持ちたくないと言うのも本音ではある。近頃はどのような分野でも文庫本以外はめったに買わなくなった。とはいうものの、電子書籍で済まそうと言う気にもなれないのである。